Riding Giants 

大波にのることを至上の喜びとするサーファー達に関するドキュメンタリー映画。素晴らしかった。

「Riding Giants」では、50年代米国に始まるビッグウェーブサーフィンの発展がクロニカルに描かれている。以下、非常に感銘をうけた点。

50年代の米国消費社会に生み出された若者サブカルとしてのサーフィンは、例えばMTVのジャッカスあたりの2000年代スケボーサブカルと本質的に全く変わらないということがこの映画で解る。当時のサーファー達は、親が第二次世界大戦で戦利品として持ちかえったナチスの軍服を押し入れから引っ張りだして着て、その姿で海岸まで続く下水溝を滑り降りたり、車に変なペイントを施したり、既にその手のいたずらー自己主張、反社会的行為ーが大好きなのだ。豊かな消費社会の生み出す若者のサブカルというか、風俗には、まるで歴史が存在しないかのよう。あるいは、ジャッカスとかあの手のものが、米国消費社会サブカルの保守本道コンサバ路線なのだとも言えるわけで、なんかあたまがくらくらした。

しかし、あたりまえではあるが、サーフィンの喜びとは、そうした風俗的な諸事云々にあるのではなく、サーフィンそのものにある。波に乗るという行為のもつ純粋な行為としての側面をこの映画「Riding Giants」はよく描くことができていると思う。

もっともこの「純粋な行為」とは何か。とりあえずサーフィンという行為が持つ「純粋な行為」を直感するわけだが、自分自身あまりにもサーフィンのことを知らないから、この直感がまったく受肉していないー身体性の裏付けのない−直感だから、こうやって書いてるにもかかわらず、説得力が無い話になってしまう。

ただ、この映画を観て、サーフィンの快楽というか享楽というかそうしたものを感じとることはできる。それはとてつもなく強力な喜びで、それはどうやら技術と勇気と精神と死に関連しているということが解るのである。

ー^ー^
そういえば以前「Step into liquid」というサーフィン映画を観に行って、やはり面白いなあと思ったことがあった。以下はそのときの記事。

映画ステップイントゥリキッド (2004/8/28)


[2008/01/29 00:30] films | TB(0) | CM(0)

最近みた映画 

隠された記憶 ミヒャエルハネケ監督
 ユーロスペースにて(円山町に移ってから初めて行った!インディーなシネコンビルになっていてびっくり)。サイコものとも言えるが、それに民族問題がからんでいている。例えばハリウッド的な映画だと、安心してみていられる観客の視座が一応用意されていたりもするだろうが、この映画は、単にサイコドラマ的後味の悪さとは違う後味の悪さが残るようにできている。それがこの作品のユニークなところ(政治性)。ラスト前の回想シーン(夢?)はアントニオーニへのオマージュだと思われる。視ることを巡る映画にもなっている。良い作品だと思う。

ウィスキー
 ウルグアイ映画!工場を経営する兄のもとに久しぶりに弟が帰ってくる。兄は工場の助手の中年女性と偽装夫婦になって弟を迎える。なんてプロットはコメディ映画のそれなんだけど、いわゆる「コメディ」では全然ない。台詞に頼らず絵も良い。工場のシャッター、時期外れのリゾート等、場末感よい。いい映画である。ちょいとアキ・カウリスマキ的雰囲気。

春物語 ロメール
ロメール素晴しい。ネックレス紛失を巡る娘-父-父の愛人の関係のこじれとそれに巻き込まれる娘の友人の哲学の女性高校教師の話。一般的なドラマチックでスペクタクルなシーンもカメラの動きも編集も特になく、会話ばっかしてる映画なのだが、それでも良い映画になってしまう。会話ばっかなんだけど、語りの映画では全くないところが素晴しい。

[2006/05/19 17:23] films | TB(0) | CM(2)

ここんところ観た映画 

ふり袖捕物帖 若衆変化 松村昌治監督 美空ひばり 大川橋蔵
老中のおてんば姫が街にでて外国奉行らの悪事を暴く。美空ひばりが歌あり踊りあり、振り袖岡っ引き洋装と派手に立ち回る。にやけた橋蔵は実は凄腕の白頭巾で姫の目付役。幕末の岡場所での違法な外国人接待という突飛な設定で、「洋楽」もどきも映画に導入の娯楽もの。1956年の日本映画(東映)の実力はたいしたものである。

男はつらいよ 寅次郎相合い傘
75年。渥美清の語りを中心として、浅丘ルリ子(リリー)にしろ倍賞千恵子にしろ、たこ社長にしろ、ゲストの船越英二も、登場人物は、台詞回しがそれぞれ個性的で、映像がどうのこうのというよりも、寅さんシリーズは、それぞれの語りで成り立っているの映画なのだ、と思った(ほんの一瞬だけの素人の語りも含めて)。

青春のお通り 吉永小百合 浜田光男
誰にも愛される吉永小百合。彼女はこの幸いなる限りなき贈与のつけを何時払うことになるのだろう。少なくとも、この映画のストーリの範囲内ではそれは起こっていないように感じる。高度成長と等価の存在。であるならばその陰の部分もあるはずである。この映画におけるダークサイドは、二組の金銭的名声的成功をおさめた夫婦の失敗、すなわち姉の自殺(国立に住む建築家とデザイナーの姉夫婦の不仲)や、女中先の女優と放送作家の夫婦の不仲として描かれる。この映画での吉永は、トラウマの欠如した、斉藤環のいう「戦闘少女」の系譜につらなるキャラと考えてもよいかなあ。

勝手にしやがれ ゴダール
映画の在り方に新しいものをもたらした映画として観る必要がある映画。もっとも、上手い映画とは全然言えないと思う。しかし、なにを映画の中でスペクタクルなものとして置くのかという点で映画に新しい物をもたらした映画であることは間違いないと思われる。ベルモントが朝帰りしたセバーグと語り合ったりするセバーグの部屋でのシーンが好き。

ターミナル スピルバーグ トムハンクス
 空港のセットを丸ごとJFKそっくりに作ったってのは、たいしたもんだなあ。トム・ハンクスの演じる主人公をビルマーレーがやったらどんな感じなんだろうか、とちょいと思うも、スピルバーグならばやっぱトムハンクスだろうな。

ラストサムライ
エドワード・ズウィック監督は、南北戦争の黒人舞台の話「グローリー」でも玉砕物を撮ってる監督。天皇が「さむらい」スピリットを理解するのかどうか等、「外国人からみた日本」的誤解がいろいろあると思われ、トムと小雪の関係も解せないが、まあその手の映画のカルチュラルスタディーはいろんなところで読めるだろうな。ハリウッド的娯楽映画としての基本線を守ると、こういう映画になっちゃうんだろうな。

The Juon
 日本版に比べ、予算があるのだろう、例のお化け屋敷は、東宝のスタジオ内に建てたとのこと。映像は日本版より多少ましになっている。プロデュース陣にはスパイダーマンであてたサムライミが入っている。基本的にjuonは怖いというよりびっくりさせる映画ってかんじだな。日本版に比べ、一家惨殺の理由がはっきりとわかるところがまず大きく違う。しかし惨殺理由がぼんやりしている日本版のがシナリオ的にはいいかも。というか、「悪魔のいけにえ」を上回る殺伐とした怖い(びっくりものじゃない)ホラーが観たいもんだぜ。

ブロークン・フラワー ジャームッシュ
サンライズ渋谷にて。先月映画館でみたヴェンダーズの映画が息子探しのロードムービーだったが、これも一緒。しかし、こちらの方が全然素晴しい。やっぱジャームッシュはすごいなあ。唯一気に入らなかったのは夢のフラッシュバック映像の質感。あとは全部いい。ラストシーンも素晴しい。重要なシーンで主人公の周りをカメラがぐるっと廻るのは、これも偶然ヴェンダーズと一緒なんだけど、説得力が全然違っている。ラストのみカットアウト(っていうのかな)の暗転も良い。脚本も素晴しい、すべて非決定のうちにとどまっていてしかし、確実に映画は終わる。すごい。語るべきところ満載の映画。例えば、ビルマーレーが来ているフレッドベリーのださださジャージ一ひとつとっても。音楽もよい。

関の彌太ッぺ 1963
中村(萬屋)錦之助が妹を探す股旅役。「つらいことがあったら寝れば明日になればわすれるさ」みたいな台詞が印象的。

楢山節考 木下恵介1958
セットや音楽等特徴的だが、基本的には 田中絹代の存在感でもっている映画だ。

[2006/05/02 17:11] films | TB(0) | CM(2)

2006年3月に観た映画 

アメリカ、家族のいる風景 ヴェンダース
 残念ながら「パリ・テキサス」の二番煎じというか、それを超えられていない作品にとどまっていると思った。「パリ・テキサス」におけるマジックミラー越しの会話のシーンのような山場となるシーンがこの映画には無い。あと映像がスタイリッシュすぎる感じも好みではない。ヴェンダーズ、思い切って西部劇撮ってしまえばよかったのに。ちなみに今年初めての映画館でみた映画!!

ゴットファーザーpt1&pt2 コッポラ
もう何回も観てる映画なんだけど、どうもあんまり記憶に残らない。いや、確かに面白いですよもちろん。人気というか知名度はすごいけど、でも実はあんまり力の無い映画なんじゃないか、などとも思う。しかし誰もが知っている大ヒット映画を作る才能にはすごいものがある。コッポラが監督した映画で好きなのは、ナスターシャ・キンスキーの「ワン・フロム・ザ・ハート」で、しかしこれだって大昔みただけだから、今観たらどう思うだろうか(ナスターシャキンスキーがかわいいというのもあるんだけど、かわいいといえば、「ガープの世界」だっけ、着ぐるみきたナスターシャ等々)。「地獄の黙示録」にしても良くないと思う。この人は多分プロデューサー向きの人なんだろう、と思う。ゴットファーザーの見せ場の一つ、洗礼式と複数の暗殺のモンタージュ、あれよくないと思うのだが(エイゼンシュタインへのオマージュが入ってるように思われるふしもあるが)。

ザ・シークレット・サービス
ゴットファーザーとかに比べると、こういう映画は色眼鏡なしで観れるのでよい。基本的には楽しめば良いハリウッド映画って感じでみれる(俺って権威主義者だなあ)。クリント・イーストウッドとジョン・マルコビッチという豪華キャストで、「Uボート」とった監督のようである。犯人の追跡シーンがヒッチコックの「めまい」のバリエーションになっていて、「命をかける」ことに関する、倒錯的な犯人とトラウマを抱えるシークレットサービスとの一対一の、物語上非常に興味深い仕掛け(どっちを取るか究極の選択的な)が設けられている、よいシナリオだと思った。プラスチックのガンなんて小道具も面白い。

愛のめぐりあい アントニオーニ
 アントニオーニ最晩年の作品で、ヴェンダーズが手伝ってるらしい。まず言っておきたいのは、音楽の趣味が悪いこと。美しいソフィー・マルソーの全裸ラブシーン(相手はジョン・マルコビッチ、この人二連発になってしまった)に、あの音楽はないだろう、と激しく思う。B級のヨーロッパ産ソフトポルノの絡みのシーンにかぶさるような類の音楽はやめてほしいなあ。秀逸なのは最後の逸話(この映画はオムニバス形式になってる)。なんかロメール的世俗界とパゾリーニ的神話の世界(牧歌的側面)が同居しているような味わいを感じる。教会のミサの合唱がこの映画の音楽的な唯一の救いかもしれない。夜のフランスの街(セザンヌの書いた山のある街なんだろうか)がすごく美しく撮れている。雨も美しいし、最後の螺旋階段のシーンも美しい。最後の最後、クレーンでカメラがホテルの各部屋を追っていくシーンも良い。最後まで観ると至福感を味わえる映画なので、途中つまらないと思わずに観る必要があります。もちろん前半にもいろいろ見所がある。美しい女性の裸は、ソフィー・マルソーだけではないし。米国映画ではあり得ない、贅沢な喜びがある映画。

ジョン・カサヴェテスのビックトラブル
この映画、友人ピーターフォークのためと、借金返済のために、最初の監督(アンドリュー・バーグマン)が降りた後にカサヴェテスはこの映画の監督を引き受け、実質的に演出、編集に大きな力を発揮していないとのこと(『カサヴェテスの映したアメリカ』レイモンド・カーニー著、勁草書房)。というわけで、カサヴェテス好きの方も、安心してこの映画を単なるB級映画として楽しむことが出来るのじゃ。
4月半ばにBSでカサヴェテスやるっす(ジーナ・ローランスがやばい「こわれゆく女」と「オープニングナイト」)。やった〜。

エヴァとステファンとすてきな家族
スウェーデン在住の友人が教えてくれたルーカス・ムーディソンという監督のスウェーデン映画。住宅街(だと思われる)にコミューンになっている家があって、そこに生活し集う人々の愛に関する物語。それぞれに脆弱性を有した登場人物達が、きれる(アクティング・アウト)ことで解放され、共生を模索していく(というか、ある意味まあなるようになるということなのだが)。同性愛、フリーセックス、革命的活動とファミリアルなアットホームネスなムードの微妙なバランスが面白い。ズームアップ(クローズアップ)の多用がちょいと気になる。

山猫
ズームといえば、やはりヴィスコンティである。「ヴェニスに死す」のペスト患者へのズームアップ、そしてこの『山猫』の舞踏会のシーンでのバートランカスターへのズーム。しびれる。と保守的(?)なことをいってみる。

セリーヌとジュリーは舟でゆく ジャックリヴェット
この映画は、あのドゥルーズが大評価している映画だそうなので、80年代ネオアカ通ってきたわたくしはちょいと構えてしまうのであるが、長いからちょいと疲れるも、楽しくみれる映画である。二人の若い女性が、どうやら彼女達の過去に関係すると思われるトラウマチックな物語が繰り広げられる屋敷を探検する話なのだが、その物語が妙で(トルコとか中南米のソープドラマのような感じがした)、ふたりがそれをキャピキャピ享受するというような感じ。ちょいとなんか少女漫画的な感じ(というのかなあ・・・)がして、珍しい映画だと思った。二人の女性のシーンと屋敷の物語のシーンのモンタージュの唐突な並列が面白い。コッポラの聖性と邪悪とのモンタージュとはある意味対照的。

フラワーズ・オブ・シャンハイ 上海花 ホウ・シャオシェン
上海租界の遊郭の女達と彼女らに入れあげる男達の愛憎の映画。ワンカットワンシーンのゆったりした素晴しいリズムと美しさを持った映画。カメラの動きが本当に気持ちいい。ゆっくりのフェードアウトも印象的。俳優、女優達も素晴しい。日本の羽田美智子も見事。こんなリズムの映画とれちゃうホウシャウシェンすごい!DVDのおまけの監督へのインタビューが興味深かった。予算やロケ地との兼ね合いにより、ああいうスタイルの映画が生み出されるにいたったとの説明。ある意味当たり前だが、この映画のスタイルがユニークなので、説得力がある話に感じた。ところでこの映画は1998年にカンヌにだされたとのことだけど、パルムドールはアンゲロプロスの「永遠と一日」に持ってかれてちゃってる。「永遠と一日」ならば許す。だが、審査員特別グランプリが「ライフ・イズ・ビューティフル」(ロベルト・ベニーニ)というのは・・、まあしょうがないかしら。ちなみに、テリー・ギリアムの「ラスベガスをやっつけろ」もエントリーしていて、この映画では禿げ(抜いたらしい)でがに股でヤク中のジョニー・デップがみられて面白いです。デルトロもインパクトあり。ストーリー忘れたけど。

ニューヨーク最後の日々
PR屋のアルパチーノがセレブのスキャンダルに巻き込まれ、それを利用して自分の信念にもとづく政治的パーティを成功させようと・・・・ってな話。役作りバッチリのアル・パチーノの姿かたち及び演技がとにかくめだつ映画なのだが、ただホテル内でのだらだらした男女のシーン(二種ある、アルパチーノとヤク中女優及び、アルパチーノとキムベイジンガー)は上手く撮れているし、編集もうまいと思った。

[2006/04/04 00:02] films | TB(0) | CM(10)

2月及び3月初旬)に観た映画 

レンタルよりテレビで観た映画のが多いかも。


間違えられた男 ヒッチコック 1956
 ヘンリーフォンダ。実話に基づく冤罪の恐怖を描いた映画で、確かにヒッチコック作品としては例外的だが、もちろんヒッチコック的味付けとして、妻の発狂(自らの超自我に押しつぶされる妻)が重要な物語要素になっていると思われる。警察検察の官僚制による召喚に翻弄されるヘンリーフォンダの控えめな不安の表現は、つぼを得ている。この映画が、普通のヒッチコック映画と異なるのは、「間違えられること」が、間違えられた側に理不尽な(特に妻に)罪の意識を生産してしまうという点ではなかろうか。この映画の妻は、例えば、夫婦喧嘩を自分のせいだと思ってしまうかわいそうな子供の系譜に置いてみることが出来るかもしれない。

鶴八鶴次郎 成瀬巳喜男 1938
 若くして認められた浪花節?の男女ペアの愛憎劇。長谷川一夫の了見の狭さ(嫉妬)が、ペア解消を招く。才能が有り愛し合いプライドの高い二人のすれ違いの人生。帝劇に出ない=山田五十鈴を芸の道に戻さないために、長谷川一夫は五十鈴の芸を貶して、再び別れ。長谷川一夫の坊ちゃん風(?)な演技が素晴らしい。五十鈴のプライドの高い感じも良い。役者及び監督の演出の良さ。

歌行燈 成瀬 1943
 能の若きホープ(花柳章太郎)が、田舎の按摩の鼻をへし折って按摩を自殺させてしまい父に破門され、「かどづけ」に生きるも、按摩の娘に芸を教え、最後は父に許されハッピーエンド。但し、ちょいと出会い等に出来過ぎ感があって脚本のご都合主義には鼻白むが・・。脇役がよい。

舞姫 成瀬 1951
 完璧なメロドラマといってよいだろう。夫との不和、20年来思いを寄せる男、ライフワークであるバレエ、母のバレエに関する志を継ぐ娘、父を尊敬する(尊敬しようと自分に無理強いしている)息子による家庭の崩落。超自我(社会的通念の内面化のみならず、享楽の強制に関与するものとしての)の介在がうまく描かれていると思われる。メロドラマの主役は、「超自我」なのだ。配役も素晴らしい。そして映画は、当たり前だが、みること、みられることによって構成されるねじれた社会的関係(たとえばこの映画の中では、「見栄」という言葉が出てくるが)を表現するに長けたメディアだなあ、と思う。もちろん、映画にはスペクタクルとしての側面もあるが、この映画ではバレエ(スペクタクルの対照としての)とねじれた社会的関係(まなざしの交差)の配合のバランスも良いと思われる。山村聰は、この手の駄目夫の役所にはまる(小津の『宗方姉妹』1950の田中絹代の夫役参照。)

つばさ 1927 ウィリアム・A・ウェルマン
第一回目のアカデミー賞受賞作の娯楽大作。「ハリウッド」が求めているものが、サイレント時代の当時も現代も基本的には変わっていないということがわかる。そういった要素の多くがこの映画の中に見いだせるだろう。アクション、スペクタクルと、それに絡む人間関係(この映画の場合、男の友情、親友との愛する女性を巡る葛藤、・・・)。あと、飛行機という近代的な装置(映画的スペクタクルの対象でもある)によって、親友同士が間違って戦ってしまうという設定が可能になっている点もおもしろい。近代的な戦争の匿名性、顔の見える伝統的な果たし合いとは異なる位相の殺伐な戦いによって、クライマックスが語られるところが面白い。パリでのらんちき騒ぎに関しても、酔っぱらい過ぎによる認識不能な女性の選択は、近代的な人間関係の変容(顔の見えない、人と人との関係がものとものとの関係に・・といった問題系)に連なっているものとしてよみとることもできなくはないだろう。

夫婦 1953 成瀬巳喜男
 上原謙はなんだかうまいのか下手なのかよくわからない俳優で、そういう意味では笠智衆もそうだけど(味は全然違うが)、上原謙は思っていることをはっきり言わない役どころがよくあう(例えば小津の「宗像姉妹」の田中絹代をずっと慕っている輸入家具家の若い経営者役。ちなみに「宗像姉妹」には上原も笠も出ていた)。はっきりはいなわないが、雰囲気で臭わせたり、ちょっとした表情で嫌悪感を出す。目が小さいからかなあ(よくわからない結論)。あと妻の杉葉子、原節子のようにべったりしてなくて、高峰三枝子のようにつんとしてなくてよいと思った。この映画の夫婦愛のハッピーエンドが重くも軽くもさせないよい妻役だと思った。

山の音 1954 成瀬巳喜男
 これは、上原謙と原節子の夫婦の危機の話。この映画の場合、アンハッピーな結末には原節子が妻の役として合っている感じがした。「夫婦」と同様、妊娠に対する対処が物語において重要な鍵となる。高峰三枝子が妻役の「妻」、そして「夫婦」と「山の音」、上原謙が夫役を演じる「夫婦もの三部作」って感じで観られて面白いっす成瀬。

きみに読む物語 ニック・カサヴェテス
 アルツハイマーの妻に、妻自身が過去に書いた夫婦の若い頃の美しい愛の物語を夫が語り聞かせ、妻の記憶の回帰を望み続けるという話。風景美しく、それがこの映画の叙情性を上手く立ち上がらせる。ニック・カサヴェテスって、「シーズソーラブリー」を観て、ちょいとエキセントリックだけど小器用な監督(今風でありがちな)だと思っていたのだが、この映画で、巨匠系に行きそうなきちんとした映画をとる力ある監督なんだと認識修正・好感。

レディ・キラーズ コーエン兄弟
 土やら死体やらを橋からゴミ運搬船に落とす絵(何度も何度も出てくる)が大変魅力的。その他細部にこだわりが感じられて良い。登場人物の演技のオーバーさも良好。

ユージュアル・サスペクツ 
 ケヴィン・スペイシーの味がよく出ている映画っすかね。しかし、今ひとつなにも残らない映画、って感じがするのは私だけか?なぜか?ディテールの問題?

座頭市逆斬り 森一夫
 勝新太郎はすばらしい。勝新は、本当にすばらしい俳優だと思う。

ジョンQ 最後の決断 ニック・カサヴェテス
 保険の不備で子供に心臓移植をすることが出来ない父親のアクティング・アウト(病院に人質をとって立てこもる)の映画。民主党系社会派映画ともいえる。

アメリカン・サイコ
 80年代M&A系ヤッピーの妄想サイコ野郎の話。表層は薄っぺらなナルシスト、内面は暴力殺人衝動の妄想でいっぱいという人間が悲劇(ある意味喜劇)的に描かれている。音楽が懐かしい感じ(80年代)。

呪怨 清水崇
 これがはやっていた(いる)のか。セット(というかロケだけど)が安っぽすぎて安普請の家具とか悲しい気持ちになる。予算&時間の関係もあるのだろうが。あとは撮影・ライティングの問題。特にライティングはベタすぎて品がない。これは現在の多くの日本映画全般に見いだせることである。これも悲しい気持ちになる。一言で言えば、「美くしくない」のである。ハリウッド・リメーク版はどうなんだだろうか。(シャル・ウィー・ダンスの日本版は、一番最後の英国のダンスホールでの映像以外は美しくないのである。)
 しかし、この映画を、死の欲動(欲望を超えた欲動)とか快楽を超えた享楽とかその手の諸概念によって読み込むことも可能だろう。呪われて付きまとわれて死に至る登場人物たちは、逆に彼ら・彼女たちこそがそこ(家や恐怖の対象)を離れられないのであり、従ってそこは強力な享楽に関連する「現実界」なのである。

8 mile カーティス・ハンソン
 エミネムのアイドル映画かと思ったら、なかなかよく撮れている映画だった。スタイリッシュな映像って基本的にはあんまり好きではないのだが(例えばマイケル・マンのコラテラル、多くのウォン・カーウァイ監督もの)、この映画の場合スタイリッシュさは抑制されているし、あとテンポ感のせいか、嫌み無く観られた。というか映画の物語的展開にいい感じに組み込まれていると思った。私の嫌いなスタイリッシュな映像って、その物語的展開に対する過剰さが、映画的良さに結びつかないもの。とりあえずこの映画ではそういうことは無い。ドアの撮り方が良いと思った。あと、汚い車もよい。

[2006/03/10 01:30] films | TB(0) | CM(2)

一月に観た映画 

村上龍『限りなく透明に近いブルー』1979
言うまでもなく、駄作。東映。ほとんどの要素が良くない。

市川昆『日本橋』1956年
セットが独特(表現主義的っていうのかな)。水準以上。芸者の好いた惚れたのもつれの話。医者の品川隆三は「焼津の半次」役をやった俳優、懐かしい。

バッドアス・シネマ 2002年
ブラクシブロイテーション映画についてのドキュメンタリー。
ハリウッドの低迷はこの手の映画により救われたが、その後、黒人映画は見捨てられたということがもっと具体的に示されると面白かった。いずれにせよそれなりの資料的価値があるドキュメンタリーではあると思われる。

『The other final:もう一つの決勝戦』2002年日本/オランダ
2002年6月30日にブータンで行われた世界最下位を決めるブータン対英領モントセラトとの試合を巡るドキュメンタリー。ブータンの人々は、きちんとしていて、興味深い。面白い国だなあ。

『真夜中のサバナ』(1997)
ジョージア州(?)ハバナで起こった実話に基づくミステリー、サスペンスもの。ワーナー配給。美しい町と美しい邸宅。中堅ハリウッド映画的な出来。ロケ地の勝利か。但し、本作は『マディソン郡の橋』(1995)に続くイーストウッド監督作品で、前作でロケのアドバンテージに味をしめたのだろうが、前作に比べれば凡庸な感じである。

『虚栄のかがり火』(1990)デ・パルマ
 シニカルさが漂うつくりのそれなりに面白い中堅ハリウッド映画。最初の長回しとかはそれなりに気合いが入ってると思うが、それが何かに結実していない感じはする。

香華 前後篇 (1964)松竹
母と娘の愛憎を描いたドラマ。それなりに安定した出来。岡田茉莉子の不機嫌な態度は癖になる魅力である。乙羽信子、三木のり平も好演技。

カウガール・ブルース (1993)ガス・ヴァン・サント
親指が異常に大きい娘の放浪記。落ち着き先は有閑マダムのためのリゾート牧場に雇われているカウガール達の集団。カウンターカルチャー的な要素を取り入れた、よくも悪くも現代アメリカ「文学的」な作品といったらいいか。まあガス・ヴァン・サントらしさは出ているのではないかなあ。過去の様々なジャンルのアメリカ映画の様々な要素が取り入れられている映画だが成功しているか、といえばそうも言えない感じがする。

マルコヴィッチの穴 (1999)
これも現代アメリカ「文学的」映画といっていいのかも。キューザックはなんか情けないところが個人的に好感。キャメロン・ディアスは個人的に好きではないが、この映画では一応はまってるのだろうなあ。他人(マルコヴィッチ)を媒介として自分探しを行う満たされない人々の話。マルコヴィッチ体験後に空からどさっと落ちて現実に戻るってのは面白い(空から意外なものが落ちてくる映画の系譜に連なる映画なのである)。シュールなアイデアが面白くてこの映画の世界を構成しているが、主人公達は極めて観客にとってはわかりやすい(シュールではない)普通な感じの人々であるところがこの映画のみそなんだろうなあ。

エンド・オブ・バイオレンス 1997 ヴィム・ヴェンダーズ
 陰謀系サスペンスも、ヴェンダースにかかると、こういう感じに「奥が深くなる」のか、という感想。視ること、視られていること、姿を隠すこと、姿を現すこと、ヴェンダーズはこういった主題を扱うのがうまい。メキシコ系の家族がいい味を出している、そこの父ちゃんは、「コーヒー&シガレット」のなかの一つの話で壁に肖像がかかっていたと思う。あれ、何という俳優だろう。もしかしたら、この映画を「失敗作」と言う人もいるかもしれないけど、私はそうはおもわねえ。ヴェンダーズの新作が日本公開近し。楽しみ。

恋人達の場所(AMANTI A PLACE FOR LOVERS)1969 デシーカ
89分の、要素を絞り込んだ、ある意味ミニマルなラブロマンス。シーン毎に異なるファッション、フェイの病名が明かされない不治の病、問われないマストロヤンニの仕事&家庭の放棄(愛の逃避行)、謎のブルジョワのパーティ等、シュールな、しかし焦点を絞り込んだ映画である。成功しているかどうかは、必ずしも肯定的に論じられないだろうが、私的には好感できるな。

アメリカン・ヒストリーX 1998 トニー・ケイ
米国の低所得白人層の若者がネオナチになり、敵である黒人を殺しムショに入り、そこで黒人に助けられ出所後、弟が殺され、抗争に巻き込まれて行くという話。エドワード・ノートンはなかなか優れたフィギュアで演技もよろしい。彼は陰のあるマッチョな役どころがよいのではないか。弟役のエドワード・ファーロングは、KISSの追っかけの映画「デトロイト・ロックシティ」に出ていた少年。

ドラックストア・カウボーイ
ガスヴァンサントの出世作。悪漢だった主人公が、あるきっかけから更正するものの、最後に付けが回ってくるという、典型的なストーリー展開だろう。このストーリー展開の系譜を考えてみるのも面白いだろう。

キングコング
1933年版。思っていたより全然良い。これをみると、ハリウッド的な怪物、怪獣ものの想像力の地平は、このころ(大恐慌時代)既に概ね完成していたのだなあと感心する。

キャスティング・ディレクター
ある意味現代版「甘い生活」。ある意味ドラッグ映画としてもみれる。金髪のケビン・トレイシーはいかがわしい感じで良い。

宇宙戦争
スピルバーグの特撮は、下品じゃないのが良いと思う。トムの役は、ハリソン・フォードが若ければ、そっちのが良いのでは、と思わせるような役どころ。例によって、スピルバーグ的な親子(父と息子)の和解の物語のラインを、宇宙戦争にうまく絡ませているが、ティム・ロビンスとの絡みの挿話の位置づけは、どう捉えたら良いのか?地下室での探査に怯える様子は映画的に良いのだが。あとは、この時期に、米国が圧倒的に侵略されるという絵を撮ったところはなかなかたいしたもの。スタッテン島への橋のたもと、というロケ地も良い。

おかあさん 成瀬巳喜男
薄幸の母田中絹代を中心とするけなげに生きる町のクリーニング家の話。三島雅夫も、加東大介もよい。香川京子もよい。かなりみんな良い。しっかりとした脚本を妥当に演出し、良い「ネオリアリズモ」的映画が出来上がっている。香川京子の花嫁衣裳(モデル)のシーンがシナリオ的にも絵的にも演技的にも一つの焦点になっていて印象的である。障子(日本間)がうまく使われている。

レッドドラゴン
「レクター」は、ハリウッドにおける新たなヒールの形象だと思う。70年代のある意味匿名的、幽霊的な変態気違い殺人ホラーのもやもやが、「有名俳優の名演技」により実体をもったといったらいいのかも(『羊達の沈黙』)。そういう観点からは、ある意味レクターは寅さんとも言える。この映画は、キャスティングがよいと思った。「シンドラーのリスト」のラルフ・ファインズ(フィネス?)も良い感じ。

コラテラル
典型的なヒットマンもの。トムクルーズのプロモ映画か(笑)。『レイ』の黒人男優はぜんぜん魅力的じゃないなあこの映画では、と思った。全体的には失敗作だと思う。

スターリングラード
『バラの名前』のジャンジャックアノー監督。大道具小道具衣裳セット等いい感じだが、だったらもっといい映画にしなければと思った。子供やら三角関係やら必要なのか?狙撃手の話なんだから、それこそヒットマンものの系列にしたら、ジュード・ローがもっと生きたのではないか?

宇宙戦争(旧作)
テクニカラーの色が奇麗なことがもっとも印象的に感じた。
冷戦時代のパラノイア系映画(?)。思いっきりキリスト教的イメージの下で映画が大団円を迎える点は、ユダヤ系監督の新作とは対照的。















[2006/02/06 15:06] films | TB(0) | CM(3)

ジム・ジャームッシュのコーヒー・アンド・シガレットに脱帽 

いい映画だ。

映画をつくっているのだ、という制作者の意識が、がスクリーン上の映像を囲い込んで、枠付けている感じが伝わってくる。例えば、観客がスクリーン上の映像にぼーっと集中して、退屈せずに「充実」した約110分を過ごせれば映画として成功だとすれば、必要とされることはないであろうなにかがこの映画からは感じられる。といってももちろんこの映画は全く退屈しないのだ。映画的に意味のある情報の固まりを感じるのだ。映画を撮るという行為の魂というというか、非常に基本的でプリミティブだけど必須ななにものかが伝わってくる映画。いい映画とは、常にメタ映画なものなんだけど(音楽も文学もみんないっしょか)、もちろんこれは、過去の映画へのオマージュだのサイテイションをちりばめたスノッブな映画じゃあない。スタイリッシュな感じもするからそういう見方をする人も多いと思うけど、そればっかだと、この映画のすごさを見逃してしまうぞ、と思う。

また、低予算でもちょっとしたアイデアが光っている映画とか、そういうことでも全くない。これは、確固としたテクニックと、適切な手間と、適切な考え方に裏打ちされている作品であり、だからこそ、映画の魂のようなもが明確に伝わってくるのだろう。アイデアなんてもんはたわいのない基本的なシチュエーションコメディなんですから(映画学科の学生が課題で製作する類いのものでしょう)。けっこう時間かかってると思われるですワンカットワンカットに、そしてその編集にも。

絵も光も音楽も音も、そして編集がすごい。私的には小津を思い起こさずにはいられない部分もあるけど、でも小津のまねしていい気になってるような映画ではない。ちょっとしたカットのズレみたいなところも、狙ってやってるに違いない、そんな、隅々までリビドー(?)が備給されきっている映画のように思われまする。音の編集も、良い。

 ハリウッド系の刺激的で短いカットによるインフレでドーピングな無理矢理リズム付与的な映画とはことなるアメリカの現代の映画がここにある(この映画がカット数が少ないという意味ではないですよ)。映画がもっている最良のグルーブの一つを見事に体現している映画だとう。

まとまりない文章でただすごいすごいの興奮文章御免。続きを読む
[2005/04/05 03:47] films | TB(0) | CM(4)

映画ステップイントゥリキッド 

サーフィン映画『ステップ・イントゥ・リキッド』を観にいく。

5年ほど前、マウイに行ったとき、素晴らしいサーファー達のサーフィンと素晴らしい波をみて、やってみたいなあ、とあこがれたことがある。

この映画を観て、もしかしたたらサーフィン映画の最大のポイントは波が美しいか否か、にあるんじゃないかなあ、と思った。当たり前だが波無しにはサーフィンは不可能だ。この映画では66フィートの大波からタンカーが起こす延々と続く波(その波によって人は3分もサーフィンを続けられるんだそうだ)まで、いろんな波を見ることができる。私は白く砕ける波が好きである。

波とは言うまでもなく、直接地球が生み出す波動である。そしてサーファーは、ボードを通しではあるが、その波動とスピードをほとんど直に感じることができるわけだ。これは強力なグルーブ体験である。

もちろん音楽はグルーブ体験だ。しかし、サーフィンほど直裁なものではないと思う。

音楽の場合、グルーブってのは、演奏者が生み出すものであるのだが、しかし実は降りてくるものでもある。能動と受動との狭間に生み出されるもの。まあサーフィンも同様なのかな。サーファーは良い波動を捉え波乗りをエンジョイ(享楽)するためにテクニックを磨くのだろうから。言えるのはどっちも一生ものということ。

[2004/08/28 23:30] films | TB(0) | CM(0)