[2008/07/06 11:28]
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中目黒OVOにてシーナバンドのライブ。3時半にターンテーブルのダイト君のお寺スタジオに行くが、ベース田中君、キーボード林田君が来ても土屋君が1時間半ほど遅れて到着。5時くらいからドラムのデータのMPC2000への取り込み等をしてちょっとリハ。日本語のリハは心地よいが、私はいつものようにオヤジ系言語障害の様相でのディレクション(苦笑)。 OVOは、元モンタージュと同じ場所の新しい店なのだが、到着してビックリ。トイレの位置が変わっていたのと、小さい地下の店なのに真ん中にしきりを作ってダンスフロアとラウンジを分けて空間構成している。それからサブのバーカウンターもできていた。狭い空間での精一杯の効率的かつ美的デザインなのであろうが、なんというか、以前の「荒くれ」なモンタージュとは変わってしまっていて、隔世の感は否めない。 森君玉野君登場で、リハをちょろちょろやって、飯食って、店に戻って本番。 今回はジャズロック的なドラムを用意して70年代マイルスを意識した演奏をしてみようと思っていたのだが、まあジャズロック的な感じはある程度出ただろうが、もう一息「妖しさ」を付加することは出来てなかったかもしれない。音の作り方も含めてこの辺は次回の課題。田中君のベースを中心にどんどん熱くなっていくところが作れてそこは良かったと思う。 ジャズロック的な部分が一段落して、いつものヒップホップ的なパートへ。ここでは、ギター、キーボード、ベースの演奏陣と、ターンテーブルのダイト君のかみ合わせが非常によくて、ロイエアーズ、クールアンドギャング、あたりの定番ネタと演奏がばっちりはまって気持ちよかった。もっともこの辺は、ヒップホップのコンテクストを理解してないと、楽しさ半減、ってところもあるのかも。演奏中に、MPCのツッチーとどのくらいのお客さんがわかってんかな?みたいなことを笑いながら冗談。 その次にちょっとアフロビートをスイングさせたようなやつとファーストアルバムに入ってるethicという曲でベースを弾く。一曲目はパターンを作るのが難しくて、結局ちょいとレゲエ風なパターンでお茶を濁す。二曲目は全編ソロ。しかし途中で失速、個人的に力量不足でちょいと残念。こういうのはもうちょっと事前に仕込でおかないと(笑)。
ベースが田中君に変わって、最後に早いブレークでライブ終了→アンコール。計1時間半くらい。ちょいと長かったと思う。ノンストップの場合は1時間くらいで十分だとも思われます。お客の方々、お疲れでした。 シーナバンドはリズムとかは仕込みなわけだけど、ライブの構成とかはかなりその場の成り行き任せなジャムバンドなので、ベースを全編にわたって弾かないで、ディレクション的なことが出来る立場にいると非常にライブがやりやすいと思った。田中くん、林田くん、土屋くんの参加も非常に大きな意味があると思った。しかしまだまだグルーブのスケールを大きく、力強くしていく余地はある。というかしていかないとダメだ、と思った。細かいアイデアやより多くの情報量をライブに詰めていく必要もあるだろう。 帰国後も楽しみである。
日本。キーボードの林田君のバンド、マラカスミラーのライブと、鈴木潤氏のレゲエのバンドのライブを聴きに行く。原宿のクロコダイル。ここに来るのは非常に久しぶり。17年くらい前には、アートコアファンクというバンドでライブをやったことがあったなあ、などと昔のことを思い出す。 マラカスミラーは御友貴子ボーカル、森孝人ギター、田中啓介ベース、ドラムの方で、ニューソウル的な香りが濃厚にただようアレンジのR&B。全てカバーbut全てリハーモナイズという、凝ったアレンジである。若干23才のバンドリーダー林田君は、自分のやりたいアイデアをてんこ盛りに詰め込んでいる。全体としては未消化な感じも否めなかったが、そうしたアレンジ面での積極的な姿勢は高く評価できるし、バンド全体としてアレンジ負けしなくなればホント素晴らしいことになるだろうと思われる。だいたい自分がこの年齢のときに何ができていたか、なんてことを考えてみたら、そのレベルの高さは歴然なのであり、末恐ろしいというか期待度100%である。 もっと強いグルーブを感じたかった、というのがまずはこのライブの第一印象。バンド全体でドライブしていくような、持っていかれるような部分。転調とかアレンジ的な部分ではなく、単純なヴァンプのなかで演奏そのもので作り出されていくグルーブ。 サウンド的には、ジャズ的な雰囲気も強く漂っていたのだが、楽器のソロが短くて、もっともっとソロを聴きたかったなあ、と思った。森君の一回目のソロでは、例えばベースが待ってました、というような感じで音量も上がっていってちょっといい感じだったのだが(私の後ろに立っていたギャルが、このとき「ギターかっこいい!」って言っていた、という証言あり[笑] )、その手のドライブ感。オーディエンスが期待するのはそういう盛り上がりである。緻密なアレンジも、例えばJBのバンドで聴けるような、ブレーク後いきなり次の曲に入るという定番アレンジを見るまでもなく、そういうプラトーなグルーブがあって初めて機能するのだ、とも思った。
というわけで、ドライブ感のあるグルーブというものの大切さを改めて感じさせたライブだったのだが、しかし一方では、ただ単純に盛り上げようと思って音数を多くしたり、いろんなアプローチをやりすぎても散漫になってしまうわけで、だから、基本のノリを維持したまま、如何にグルーブを深めていけるか、また如何にアイデアをふくらませていけるか、この辺が、ライブミュージシャンの生命線である、と思った。 あと、音量が小さかった点も今回のこのバンドのライブを評するポイントになるだろう。仮に音量が小さくても、一音一音の強さ、緊張感があってそれが持続すれば、そういう繊細さが維持できれば、ただ音がでかいバカノリのバンドなんかより1000倍いいのである。しかしそれはホントに難しいことだ。例えばドラムのリムショット一つにしても、音が小さい分、振りが早くなくては、スピード感は出ないだろう。一つ一つの音に集中して小さな音でグルービーな音楽を作っていくこと、それはそれで一つの方向性としては正しいのだが、しかしそれは難しい。 ことによったら、リーダーの林田君は、そういう音楽を目指しているのかな、とも後から思ったのだが、だとすると、バンド全体にそういう意識を徹底させていかなくてはならないだろう。リッチで暖かい声をもつボーカルの御友さんは、案外繊細な表現とかも実はいけるタイプなはずなのだが、このバンドではある意味「お約束」の盛り上がり志向な感じで歌っているようにみうけられ、この辺も、今回このバンドを聴いて感じたある種のアンバランスさにつながっている問題だと思う。 潤氏のレゲエバンドは数曲しか聴けなかったのだが、音量がしっかりあって、安心して聴ける感じのバンドだった。私は時差ぼけのため、くらくらしてきて、中座してふらふらしながら帰宅、御免。
セネガル系の団体のクリスマスイベントで演奏。ホテル(YMCAのようなキリスト教系の宿泊施設)の大ホール。セネガル人モゼのパーカッショングループと対バン(そういえば、夏にリューデスハイムというところでやったアフリカンフェスティバルでも彼らが対バンだったな)。彼らの演奏がすんで、ショコラーデ・エクスプレスの演奏。雨のせいか、お客はいまいち少なかったのだが、みんな踊っていていい感じだった。45分くらい演奏して、ショートブレークのあとまた演奏するつもりだったのだが、本当は昼すぎに演奏するはずのセネガル人のコーラ奏者が昼には来なくて、なんと今頃になって現れて、彼のセッションの時間になってしまって、我々の演奏はワンステージだけになってしまった。 カオクディは音楽以外の単純労働の仕事をしないとあかん、と言っていた。彼はフランクフルト近郊を拠点にしてかれこれ10年以上も演奏活動をしているガーナ系のバンド、ススビリビリのメンツなんだけど、そっち関係の仕事がどうやらほとんどなくなってしまっているような状況らしい。ドイツは経済的に厳しいので、パーティー関係の営業の仕事が減っているのだ。ビザの関係もあり、仕事を探すことは彼にとってはまさに死活問題となってきているようである。 デビッドは去年の冬、クリスマスの夜に飲酒運転で免許を採りあげられている。ドラムのトーマスと一緒に遊んでいて、トーマスがベロベロによってしまったので、彼もかなり飲んでいたのだが、運転せざるをえなくなり、そしたら警察に捕まってしまったのだ。不運。これから講習(3日間)やらを受けて免許を取り戻す予定。免許を持っていれば、仕事の幅が増えて、給料が増えるのである。 夏のフェスティバルではカメルーン人のひどいオーガナイザーとギャラの交渉とかでだいぶもめたのだが、今回のオーガナイザーは非常にまとも。お客の入りが良くなくて、予定より2割程度ギャラが減ってしまったのだが、みんな特にそれについては文句を言わなかった。ゴスィはセネガル人だし、オーガナイザーの知りあいで、彼のツテで今回のフェスティバルに出演したこともあり、演奏がワンステージだけになってしまったこととかも含めて申し訳なさそうだったが、まあ全然問題なし。
PAはデビッドのスタジオ自前のものと、ホールに備え付けのものをミックスして使用。私はほとんどPA係件ベーシストみたいな感じだったのだが、PAってのも結構面白いなあ、と思った。今回のフェスティバルでは、予算の関係で専門のエンジニアも着かないし、機材もレンタルできなかったのだ。ちょいちょいバランスとって、ハウらないようになるべく音量あげただけだったのだが、フロアの音的にはそんなに悪くなかったようである。 ステージの袖にはグランドピアノがおいてあったので、出番じゃないときに、ライフのブギウギピアノ全開(笑)。マジで上手い。あれだけ弾ければ、例えばベートーベンなんかのソナタとかに必要なクラシックのテクニックと同等のものがあると思うのだが、かれは「おたまじゃくし」がほとんど読めないのだ(コード譜も得意ではない)。で、基本的には ウギウギ的なテクニックに特化しているわけである。初見の読譜を期待されて譜面をもってこられて困ることがあると言っていた。プレイヤとして以上に、作曲(あるいはシンガーソングライター)を志向で、ビリージョエルとかエルトンジョンみたいなタイプになりたいようである。親戚に結構成功しているプロデューサがいて、経験得るためにそのツテで、そのプロデューサが働いているプロダクションに入ってみたいと言っていた。いわく、「しかしそのプロデューサが作っている音楽は全然良くないんだけど・・」(笑)。全然業界に染まってない音楽好きの二十歳の青年の前途は如何に?(笑)。
だいぶさぼってしまった。この間リハ2回、セッション2回。 2回のリハのうち1回に、新しいキーボーダー参加。若干二十歳のライフ君。ドイツ人。レゲエをそつなくこなし、アフリカンポップも無難にコードのロングトーンで処理。リズム的に問題なく(というかきちんとしてる)、良い感じ。コードはジャジーなものは知らないようだが、基本的に問題ない。 このリハのあとセッションでライフが来ていて知ったのだが、彼の専門はなんと、「ブギウギ」ピアノなのである(ドクタージョンあたりを想定して頂きたい。)。若干二十歳で既に、ブギウギのスタイルを完璧にマスターしており、おまけにボーカルまでとるのだ。特にピアノを人から習ったことはなく、自分で学んだんだそうな。ある種の天才なんだろう、と思った。 そんな彼がアフリカものやらレゲエをやるバンドに顔を出したのは、多分、アフリカものとかも覚えたい、みたいに思ったからだと思われる。しかしレゲエは既にそつなくこなすし、アフリカものといってもキーボードはそんなに活躍するわけでもないし、コードも単純だし、特にガーナ系のポップスのキーボードはかなり「フリースタイル」な感じだから、彼にとってはどうなんだろう・・と思う。これがキューバものとかだったら、ピアノにもある種の「型」が存在するから、彼にとっては学習の対象になりうる感じはするし、きっと壺が分かればすごくよいラテンピアニストにもなれるだろう。そういう意味では、かれは天才というよりは「秀才」なのかな。日本語は才能に関して便利な言葉があって良い(笑)。
しかし二十歳であれだけできあがってしまったら、ちょいとこの先どうなるのか、と、他人ながらいささかいらぬ心配をしてしまう。実際かれはブギウギスタイルこそが自分の場所だとの確信を抱いているし、多分他の分野の音楽をやるときにブギウギ以上の喜びを見出すことは難しいだろうなあ、と思うのだ。もちろん、このままその専門家として(もちろんそこそこ他のこともやりつつだけど)、年を重ねて渋いプレイヤになればいいのである。そうなんだけど、なんかそれは違うんじゃないの?みたいな気もするのだ。 ブギウギは、「発展」させる余地がなくて、個人の持つオリジナリティを紛れ込ませ辛い、と私は感じているからだと思う。オープンエンドな感じがしない、「型」の音楽に感じるからだ。これは私の理解が浅いせいかもしれないのだが・・。 多分彼は、他のポップスの分野もそれなりにそつなくこなしていくだろうが、ブギウギの至上性を崩すことは、よっぽどエポックメイキングなことが無い限りないんじゃないか、と、私は想像している。まあいずれにせよ、今後彼がこのバンドに定着するかどうかはまだ不明だが、できたらしばらくは「観察」してみたい(笑)存在。
私は英語的特徴&ルーツをアフリカに求められるであろうリズミックな性質、という組み合わせが基本的にラップのフローの基本を作っていると思っている。でもそれが他言語に移植されたとき、この二つの組み合わせは当然変容を被ることになる。そしてそれぞれの国での言語やリズム感の下で、新たなラップのリリックのもつ流れが生み出されることになる。私はこの辺、ある意味で原理主義的といいうか、特にニュースクール系のラップを一つの理想的典型と考えているところがあり、どうしても日本語のラップは「かっちょわりー」と思ってしまうのである。 このへん、多分デビッドも多少なりとも、そういうふうに感じている、あるいはアンビバレントなキモチをもっているようである。でもガーナの現実は、ほとんどのガーナラップソングがアカン語で生産されているわけで、従って、デビッドも、自分のアカン語ラップのテクニックを示す必要があるからアカン語のラップをする、みたいなニュアンス(実際彼は、即興のラップなんかでも英語である。)。で、彼はゴールドだのぶっといアクセサリしてるラップ系のファッションの連中とは一線を画したいってところもあって、このへんもなかなか面白いところである。デビッドは世代的にはそういう連中よりちょいと上だってこともあるかもしれないが、従って、アカン語のラップが自然化された過程を知っていて、アカン語ラップがあたりまえ(自然)であるという状況に違和感が多少なりともあるのだと思う。
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