オルガンジャズのライブ(1) 

林田くん(オルガン)と森くんのライブを聴きに行く。ジャズ。で、飛び入りさせてもらおうとおもって、ベース持参。林田君は足まで使っての正真正銘のオルガン弾きだったのでビックリ(笑)。いや、まじで(笑)。

本人も言っていたのだが、オルガンの場合、リズムもソロも全部演奏するわけなので、多分他人の引くウォーキングベースに乗ってその上でソロを弾くのとは、違った感覚になるわけである。つまり、自分のタイミングでソロのラインをリズミックに構成していけることになるわけである。そういうこともあってか、林田君のプレイは想像以上にダイナミックに聞こえた。オルガンってのは一人で全部できちゃうわけで、スゲー楽器だなあ、とも思った。もちろん、まだ林田君はオルガン奏者としてのキャリアは短く、例えばギターとのリズム的な間合いにまでは気が行ってないのかな、と思われるところも少々あったし、もっともっとソロのフレーズのタイミングが後ろに来る、つまりレイドバックするべきだ、等とも思うが、こういう言い方をしたら本人に失礼かも知れないけど、想像以上にジャズの世界が構築されていたので、お客として非常に満足した気持ちで聞くことができたです。

[2004/07/30 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

オルガンジャズのライブ(2) 

森君は音が良いと思った。アンプから出てくるエレキギターの音は、くだらん化粧っけなどない真っ当な音だったので。プレイ的にはそんなに乗り切って演奏してるようには思えず、ということは、いろいろ気になるところがありつつの演奏だったのかも知れない。が、地味めなれどもそれなりの演奏(といってはこれまた本人に失礼だが)。

この日は私の他にもウッドベースの若い青年(阿部君だったっけ)が飛び入り参加。阿部君はリズムがしっかりしていて筋がよろしそうである。どんどん耳を鍛えていけば、いいんじゃないか、と思った。

さて、自分のプレイだけど、いろいろ考えるところがあった。ドラムがいないときのプレイというのは、それなりに難しくて、一般的にはベースがしっかりとステディにリズムを出す必要があるんだと思う。私は残念ながら、あんましステディに刻むのは得意じゃない。なんだか前に行ったり後ろに行ったりグニャグニャ系なので、ドラムや刻み系のギターやらがいないときに、不安定になる傾向があると思っている。この日はまさにドラムレスだったので、久しぶりにそうした不安定さを感じた。もちろんこれは克服、というか修正する必要がある。ウッドベースは体全体で弾く楽器だから、指先(あるいはそれに加えることせいぜい手首)で弾くエレキベースよりは、ステディなビートは出しやすいように思われる。しかし、もちろん、エレキベースだって体で弾けばよいのである。最低、腕全体の運動からビートを作っていけば、より安定したビートがだせると思われる。そういうことを終わってから考えていた。

[2004/07/30 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

深夜セッション 

深夜、渋谷のRoomにて、ジャムセッション。初めて足を踏み入れるクラブ、小さいが(といっても中目黒の旧モンタージュよりは全然でかい)、なかなか良い雰囲気。ここでのジャムは、スタンダードジャズをチョイスして行われるストレートアヘッドなものではなく、基本的にはファンク的なビートでコード一発、みたいな感じが多いようである。ただ、いわゆるファンク的なのりというよりは、もうちょっとジャジーな感じ指向がコモンセンス的にあって、クラブ系の音楽に馴染んできた耳にとってのジャジーでファンキーな演奏が好まれるジャムセッションであるといって良いだろう。

こうしたセッションはフランクフルトでもカフェ・ボルテールというクラブで毎月第三木曜日に行われていて、私も何回か参加したことがあった。それとRoomのセッションとの違いは、Roomの場合演奏者が原則として一曲で交代するのだが、フランクフルトではだいたい3曲位を目途に交代するところ。明らかに一曲ずつ交代することにしちゃってるほうが、演奏者交代時の混乱が少なくてよい、と思った(一般に嫌な奴ほど長く演奏したがる[苦笑]ちゅうか、長く演奏したがるから嫌な奴に見えるのか[苦笑]・・)。フランクフルトでは、演奏を代わってもらおうとすると、もう一曲やらせろ、と既存の演奏者が言ってもっと演奏を続けるのが常で、私も結局そういう感じでやっていたのだが、一曲づつ、と決めてしまえば、その手の駆け引きはなくなるので、よいと思ったわけです。

さて、私は2回(2曲)演奏しました。一回目は、フロントが変な外人が叫んでいる感じでメリハリ無くなってしまって面白くなかったのですが、二回目は、フロントに売り出し中のジャムバンドのホーンセクションの方々等が入り、エレピもジャズプロパーの方が入り、良い感じのセッションになりました。で、この日知り合ったドラムの天倉君がばしっとしておりこれがまた良かった。ベースの私が彼のビートに乗っかってあーだこうだやっても耐えてキープしてくれて有り難う(笑)。

[2004/07/28 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

Maru's Soul Party !聴きに 

70年代&80年代のソウルクラシックスがメインのボーカルの女性中心にカバー演奏されるかんじのライブを聴きに行く。前半はいろんな意味で硬い感じだったが、後半は堅さがほぐれ、音量も上がって良い感じになる。惜しむらくはお客さんが少なくて、ダンスホール的な良い雰囲気には欠けたが、バンドの信条であろう楽しいハッピーな感じも高まり、満足のいく感じになっていった。コーラスの女性ボーカルが素晴らしかった。このバンド(どうやらバンド名は、「東京☆ディスコ」になったらしい)は、今回が初めてのライブだったのだが、今後リハやステージをこなすことでさらにどんどんよくなっていくことが期待できるんじゃないかな、と思います。そうそう、ギターの八木橋くんもコードのカッティングとかいけてた。

[2004/07/22 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

主体としての無意識 

セッションというのは、精神分析で分析家と被分析者の対話についての言葉でもある。だから、たまにここで、自己分析の断片なんかも書こうと思う。生臭いやつじゃなくて、思弁的というか理論的なやつ。

というわけで、まずは行為の主体と、意識にとっての死角との関係についてちょっと書く。

行為には、無の瞬間が含まれている。行為がまだ選択していない状態と選択された状態とを分かつ選択そのものの点(断絶、境目)は、微分的に幾らでも小さくなっていくが、しかしこの決定的な瞬間自体は、どうしても埋められない点=無として残されてしまうであろう。この決定的な点は、行為する個人の意識にとって過剰であり、そして、この過剰の別名こそが、無意識の主体である。これは、ある意味、詭弁(放つ矢は当たらないとか、ウサギはカメに追いつけないとか)的なのだが、心的現実とは、詭弁的なものやらパラドックス的なものの支配する領域なのだ。たとえば、意識は常に行為を後追いすることしか出来ず、決定は意識を越えているものなのだ、といえば、より分かりやすいかも知れない。行為は意識による事前の予期(イメージや物語による)から必ずずれる。もちろんそのずれは外的要因によってのものではなく、内的要因、すなわち無意識によって、なのだ。

我々は、フロイトが、話者が気がつかない言い間違いの中に無意識を見出したことを知っている。それはやはり、意識にとっての死角の問題である。無意識が、ある言い間違えられた表象のかたちをとって現れてくるわけであり、この言い間違のメカニズム(圧縮やら置換やら)を、つまり無意識を発見したのがフロイトの天才なのだ。

そしてそれは、行為の瞬間という意識の死角についても言えるのではないかと思うのだ。この場合、無意識とは、意識の臨界点において現れる無である。しかしその無が、行為を行為たらしめる選択の、そして責任の所在、つまり主体の所在なのだ。そして意識は、それを遡及的にしか捉えることが出来ない(しかも、他者を介しての場合が一般的である)。

我々は意識に、あるいは自我に主体を求めがちであるが、主体はそこにはなく(より正確に言えば、主体は意識の死角に、臨界点にある)、主体とは、無意識の主体であることに注意するべきである。

[2004/07/12 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

散歩 

声、特に複数の声で構成されるコーラスの処理が難しい。
現在取り組んでるのは3声。女性1声と男性(同じ人)2声なんだけど、上手い具合にサーッという感じのフェイスがかかってすっきりした感じになってくれない。男性の一つの声がなんだか痰が絡んだようながさがさした感じになってしまう。バックトラックをミュートして3声のみだと大丈夫なので、いろんなかねあいがあるようだ。難しい。

せっかくなので、ブリュッセルの街を歩いてみる。レコード屋を2件ほど発見。両方とも在庫はとてつもなく、特徴的なのはシングルの在庫が滅茶苦茶多いってこと。一件は古本屋(あちゃらのエロチック系イラスト・マンガ本中心)との二本立てで、値付けとか、なんだか滅茶苦茶で、ジャズのコーナーは、スイングものが非常に多かった。あとの一件は試聴ターンテーブルが2個おいてあるDJ向けの店で、昔のディスコの12インチがたくさんあった。

[2004/07/09 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

食文化と口唇欲とサムシングエルス 

今回はレコードは購入するつもりは全然ないので、ざっと観ただけだけど、そんなに食指を動かされなかった(のでなにより)。それより、先週行ったオランダのデルフトという街で見かけたレコード屋のが全然良かったなあ。デルフトは小さな街だけど、すごく良い雰囲気。街の中を複数の運河が流れていて、煉瓦作りの家並みがきれい。オランダはマーストリヒトとデルフトしか行ったことが無くて、ロッテルダムとかアムステルダムとかも行きたいけど、小さな街がいいと思った。でもロッテルダムもよいらしいけど。

デルフトでは、ちょっとしたカフェで、かなり質の高いサラダを食べることができたのがうれしい驚きの一つだった。きちんとしたフレッシュでバランスのいいサラダを出せる店は優秀だと思う。レストランで大事な食材管理がちゃんとしている証左だと思うから。あと、日本の食堂は平均して小汚いと思う。いま滞在してる街の日本食を食わせる店には、やはりなんだかあまりきれいとは言えない店と、きれいはきれいだけど作りが安普請っぽく見える店がある。前に住んでいたドイツの街でも日本食レストランはなんだか汚かったり、雑然としていたり、手順が悪かったり(注文が遅かったり)、あまり良い印象を受けなかった(1店だけ雑然としてなくてちゃんとしていた回転寿司があったけど)。

コンフォータブルで真っ当なレストランを運営・維持するのは難しいと思う。仮に味覚のセンスが良くても、空間的な美的センスと合理的思考がさらに要請されるのだと思うのだ。 つまり単に口唇欲に生きる周りの見えない人じゃダメってことだ。というと、周りの見えない口唇欲タイプの人じゃダメなんだけど、案外そういう人が食堂を経営してたりするわけだ。まあラーメン屋(カルチャー)とかにありがちなことがも知れない。もっとも味覚音痴の食堂経営者よりはマシかも、ですが。

[2004/07/09 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

集中して音作り 

ソコンで音楽を作っていて最近思うのは、高い音と低い音がすごく大事だということです。当たり前って言えば当たり前なんですけど。特に今は高い周波数の重要性を感じてます。高い周波数からは、なんというか、空気感というか、そういうものが感じられるような気がするのです。音の微妙な表情(空気の振動を通して伝わってくる音から受ける聴覚映像というか)。ミドルレンジを押さえ気味にして、要は「ドンシャリ」ってやつですが、そうした音の微妙な表情と戯れるのも楽しい気がします。

そして低音。低音は難しいですね。私はコンピュータで音楽をやり始めて低音の難しさに出会ったのですが(それで低音に気をとられすぎて高音を忘れていたですが)、低音はダマになりやすいのですが、どうやってそれぞれの音源の低音を分離よく聞かせるか、っていうのが多分、エンジニアの腕の見せ所ではないかと思われます。ステレオというのはすごく良くできていて、左右感はあたりまえですが、それのみならず、上手くやれば前後感も醸し出すことができるわけで、そのへんの微妙なトポロジーを集中して作っていくこと、これが重要なのかもしれません。

まあ、日々是(ちゅうか毎日はやってないけどね)研究、集中して音に向かい合うのは疲れるが楽しいものです。

お、登録しようと思って気がつきましたが、昨日は七夕だったのですね

[2004/07/08 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

ブリュッセル 

かれこれ既に3週間以上居るんだけど、この街、実はいまいち肌に合わないってのが正直なところです。なぜなんだろう。箇条書き。

・中途半端に大きくて把握しずらい。
・私が滞在しているエリアにおもろいところがない。
・ユーロ2004及びツール・ド・フランスという興味のあるスポーツをテレビでやっていて、イマイチ外に探索に出かけない。

街について把握できていないというわけで、でも、把握しようとしていない自分の態度に7割がた責任があると思われマスる。

といっても多少は散歩もしていて、「犬もあるけば棒に当たる」ではないですが、レコ屋とかライブハウスととかにぶち当たるだろうですが、どうも運もないのか、今回はなんか勝手が違う感じ。こちらの友人も居ないし、それも問題。ライブとかネット検索してみたものの、結局行かなかったしなあ・・。

[2004/07/07 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)