NYでアフリカ系の音楽って珍しいんじゃないかなあ、と思って、ちょっと行ってみる。普通のジャズ聴いてもアレだし。Time OutにもVoiceにも特にコメントがのってなかったのでどんなもんなんだろう、と思ったら、オープニングアクトのアフロビートのバンドには日本時のドラマーとパーカスがいた。ことによるとベーシストも日本人。ドラマーが良い感じだった。メインボーカルと、ウッドブロック&コーラスの係の人がアフリカ系で。インターナショナルな感じのアフリカンなバンド。ということは、私がフランクフルトでやってたアフリカンのバンドと同じですわな(笑)。もっとも私がやっていたのはガーナ系のハイライフってやつで、これはアフロビート系ということで一応ナイジェリア系なんだろうか・・このへんは良くわからない。
メインアクトのどうやらウェストコーストからきたと思われるソウルジャズの影響をうけたジャムバンドは、失礼ながら凡庸すぎて1曲半聴いて退場。この手はもういいや、って感じがした。
まったくもって私は、自分の都合で音楽を聴いている利己的リスナーなのである。ちゅうかだれでもそうですよね。まあデートとかで、彼女が好きなアーティストを嫌々最後まで聴いたりとかってのはあり得るか。でもそれにしても、いやそれこそあるみ利己的だよね(彼女をものにしようとして音楽を利用しているとも理解できるわけだからさ)。利己的というか音楽に対する冒涜なのである、そういうのは。ってまじめにそんなことかんがえてるわけではありませんけどね。
ニンジャ・チューン系のギグ。オープニングアクトにはblockheadという人ののラップトップによるプレイ。しきりに腰を痛そうにしながら、ラップトップと睨めっこした地味なプレイで、楽曲的にも地味、映像ももう一つだった。
メインアクトは、DJを中心とした4名のユニットの演奏。sixtoo、DJ signfy、P-love、Mat Kelley(B)。この手の良質のセッションをみて思うのは、彼らは私のような楽器弾きとはちょっと違った観点でプレイをしているってことだ。もちろんいろんなタイプがいて、今回はアナログのターンテーブルでスクラッチしてトランペットも吹いてピアニカも弾いてノードを弾いて変な鉛筆みたいなもので弾く電子機器を操ってMPCのパッドでドラムをプレイいた人は、スクラッチもなかなかのもんで、ある意味かなり楽器奏者的な感性をもったタイプだと思ったが、でもやっぱそうじゃない部分がある。だから楽器奏者のみのセッションと違った面白さがあって、私のような楽器系のものには、結構新鮮なのである。
基本的にはバックトラック(CDJ)に載っての演奏だと思われるが、曲の最後とかでぐにゃっとなるところとかが面白いのである。しかしぐにゃっとなって次の曲に入るタイミングとか、その辺の塩梅がDJ系はさすがなもんである。怪しめのトリップホップ系(っていうのかなあ)でも、複数の人間によるスクラッチとか生楽器多様のライブ演奏だと、盛り上がり方が違う。基本的に悪ガキどもがごちゃごちゃいろいろとっかえひっかえやってる感じのヒップホップジャムバンドとでもいったらいいのかな、って感じだった。
ブルックリンにKUDUのライブを聴きに。KUDUはディーントニ・パークスというドラマーとシルビア・Gという女性ボーカルのユニット。キーボードが一人の都合3名でのパフォーマンス。サウンドは80年代(ニューウェーブ通ってる感じっていうか)を感じさせるもの。
以前電化ジャズ通信(
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000092227)[04/04/2004]でも書いたことがあったのですが、このドラマーがすごい人で、3年前に初めてライブを見たときに、「こういう人が出てきているんだ」とたいそう感心したプレイをする。どういうことかというと、例えばまあドラムンベースを生ドラムで叩くのは今やまあようあるわけですが、それ以外のエレクトロニクス系のドラムをライブプレイしちゃうわけです。3年前にはティンバランドのチキチキみたいなやつとかも叩いていたですが、今はよりロック、というか80年代的な打ち込みを感じさせるプレイだった。パッドとかは使わず、生ドラム。コンピュータのモニタを見ながらの演奏で、多分それが譜面代わりだったんだと思われます。とにかく振りが早くてシャープ。このシャープさはマジでただ者ではありません。もしかして、こういう書き方をすると、このドラマーにデジタルで無機的なイメージを持つかも知れないけど、全くそんなことは無いのです。
ボーカルのシルビアは以前はベースをちょっと弾いたりもしていたんだけど、今は歌に専念でステージングも以前より数段良くなっていたと思う。
うそうNYはビールがうまかった。ブルックリン・ビアという、まあ日本でいえば地ビールを置いてる店が結構あって、このラガーが素晴らしくおいしかった。甘くなくて、ホップが効いてるのか苦くてちょっと青臭いというか、良い感じなのである。あと、シェラネバダ・ペール・エールっていう銘柄を置いてる店が結構あって、これもまた良い感じのペール・エール。こういうのを飲むと、日本のビールってのは本当にどれもこれも同じような味だなあ、とつくづく感じる。海草臭いやつとかなんだかわけのわからん水を使ったり、くだらん期間限定のもんだの作ったりせずに、下らないマーケティングもやめて・・・。まあいっか、米国にもバドとかミラーとかマスコミ的産物の怪物ビールあるわけだし(むしろあっちが本場か)。日本では肝臓をいたわろうと思う。フランクフルト名物のアプフェルワインも日本では飲めないことだし。
セプテンバーイレブンスは新生シーナバンドの初リハ。ループものやらそうでないものやらドラムのみちょいと録音したりとかいろいろやってみる。特にループ系では、こまかいディレクションはなし。ループを聴いてそのうえでどんなプレイをするかで演奏家の感性も分かるというものである。分かったことは、ちゅうか前から分かってはいたが、インタープレイアビリティについては申し分ないということ。
難しいのは、ライブ時の「普通の音」で、どう新しいことが出来るか、これである。楽曲的な新しさ新しいアイデアというよりも、演奏者の身体性、身体的ディシプリンという次元での新しさの獲得が必要とされるのかも知れない。それは生の演奏者にとっては、実は、もっとも難しいことだ。
ただし、メディア論的なコンセプトは、このとき、身体性における新次元の獲得をサポートすることになると思われる。メディアはメッセージなのである。テクノロジーは身体技術の方向性を規定するであろう。
そうした意識・そうした感性を共有していきたいと思う。
そういう意味では、今回のリハはイマイチだったのかもしれない。肝心のリーダー(あ、おれか)が、そこまで自覚的ではなかったから。
大学のジャズ研の後輩たちが出演するライブを聴きに行く。場所は馬喰町のジャズバー。地下ののスペースは、きれいな長方形のハコ型なので、でかい音だと簡単に回っちゃいそうだけど、さほど大きな音ではないジャズだからだろうか、問題なし。殆ど直前に曲を決めるようなセッション的なライブ。
かれこれ20年ちかく前には毎日のように一緒に演奏していたドラムの林氏の演奏をたっぷり聴いたのは実に久しぶり。ジャムセッションなんかでちょっとだけ聴くことはあったのだが。非常に個性的で独特な彼のスタイルは、そういう場での保守的なプレイヤたちと一緒に行われる一曲程度のパフォーマンスではきわもの的な理解が先にたってしまう傾向を有しているようにさえ思われる。しかし今日はまとめて一時間くらいは林氏のドラミングを聴くことができて、本当に興味深かった。誤解を恐れずにいえば、林氏のスイング(4ビート)の演奏においては、例えばベースとともに醸し出される一体感をもったグルーブ的なものはさほど重視されてはいないように思われるのである。彼の興味の対象はソリストであり、特にピアニストであったように思われる。ピアニストのプレイに対するインタラクション(激しいチャージ?)、これが今回の氏の演奏の核であったように思われるのである。基本的にバンドは、氏の有するカラーの支配下に入っていた感じがする。先日も同様のことを書いた覚えがあるのだが、まあドラムが良ければバンドは勝ったも同然。聴く価値を感じさせる演奏になっていたと思われる。
やはりジャズ研の後輩である松永氏の安定感のあるウッドベースのランニングは、林氏のドラムプレイの土台(プレイグラウンド)としてのかなめの機能を果たしていたと思われる。後半ピッチの乱れが多少気になったが、それを除けば、心地よいビートを供給していたと思う。
これまた後輩のサックスの宮嶋氏。しっかりと倍音を多く含んだ音色だと思った。というのは、最近ライブを聴いたサックス奏者がみんなもっと薄めの音だったこともあってそう感じたのだと思う。しっかりと展開のある比較的長いソロに好感。さらなるリズムの強化(安定)が望まれるところである。宮嶋氏と話して、Ipodとノイズキャンセル付きのヘッドフォン(BOSE製)が滅茶苦茶欲しくなるが、とりあえずは買わないぞ。でも氏の話を聞いてから、自分のヘッドフォンの取り扱いが急に雑になってきてしまった(苦笑)。
紅一点のすがわらさんは、比較的音程の跳躍のある美しいアドリブラインの歌い回しに好感。
林田氏のオルガンのバンドをマイルスカフェに聴きに。この日は、オルガントリオ・プラス・サックスの日比野氏という編成。驚いたのは、ギャルのお客さんが多かったこと(笑)。いやマジで驚いた。内容的にはかなり古典的なオルガントリオ的な選曲、スイング(4ビート)やソウルジャズ的なもの中心。
マイルスカフェは基本的に音がいいライブハウスで、この日も同様。オルガンがよく鳴っていたと思う。サウンドの感じも、バンド的には多分狙い通りだったんじゃないかな。私的には新しいトライの度合いが高いとよいと思った。
日比野氏は渋めのプレイだったと思う。バップのコード進行上で良い感じのジャズらしいソロ。かといって適度にモダンで、音の感じもジャズらしく、全体に安心感のあるプレイで好感した。ギターの森氏は、一発系のソロの盛り上がりに光るものがあったが、そのソロの盛り上がったあたりでしばしばバックの演奏がばらけてしまったりもして残念だった。リーダーの林田氏は、右手に左手に足にと注意を配りながら、集中力の持続が必要な役回り。最後のほうで、盛り上ってテンポ的に走り出してしまうところがちょっとあったと思う。
総体としては、堅さも感じたけど、私的には楽しめるライブだった。
リーダーの林田君は、ポテンシャリティーの高い、若い、耳のよいプレイヤである。さしあたり、リズムをゆったりととることについての感覚を高めていったらいいのではないか、と思った。盛り上がりつつも、ゆったりとリズムを取り続けること。
もっとも、「言うは易く行うは難し」なわけで、私自身ちっともちゃんと出来てないんですけどね。
例えば基本的なビートに対して、どれだけ遅れて発音することにプレイヤ自身が耐えられるか、みたいなレイドバック的な感覚ってのは、要は、遅くすることで生まれる負荷によって、心身の高揚・興奮をうまく消費し解消する仕組みになってると思う。この仕組みは、高揚によって単純に早くなる以上に、技術を要する複雑なオペレーションなのだ。そして、遅くなることによって強度と美を生み出すこの方法がうまく組み込まれているのが、ある種の北米黒人音楽の特徴でもある。その手の音楽を目ざすにあたっては、非常に重要な身体的ディシプリンなのだ。
演奏家にとって演奏中の高揚は、不可避であるしまた不可欠である。それをいかに美的にオペレートできるか、それが演奏家の肝だと思う。