新生シーナバンド初ライブ 

しかし、雨が多い季節だ。普通は9月だと思うのだけど、季節感が1月ずれている感じがする。

さて、新生シーナバンドの初ライブである。阿佐ヶ谷ジャズストリートの一環としての、酒井匠氏オーガナイズのイベントに出演させてもらった。

今回はターンテーブル&ラップトップの真鍋大度氏は不参加で、生楽器のみ、森孝人氏(g)と天倉正敬氏(dr)とのトリオの演奏である。持ち時間は一時間。5曲を演奏。このうち最初の1曲目と3曲目は、新しく取り組んでいるコンセプトでの演奏。4曲目は、これも新しく取り組んでいるコンセプトだけど前の三曲とはちょっと違った演奏。2曲目と5曲目は、結構普通の演奏、という感じで、自分で言うのもなんだけど、まだまだ過渡期的な(というか過渡期にさしかかったばかりというべきなのかも)パフォーマンス。

ジャズフェス的な雰囲気も手伝ってか、お客さんが良い感じで、私自身は大変気持ちよく演奏することができた(感謝です)。新しいコンセプト的なものを貫徹するような演奏では必ずしもなかったとは思うが、演奏者は、互いの音を意識しつつ、単にグルーブに身を任せない(モ主権モを「他者」に委譲しない)演奏が、ちょっとはできたような気がする。

多分、このバンドとしての肝の一つは、この「単にグルーブに身を任せない」ってこと、になると思う。メンバーはもちろんグルーブを愛しているわけであるが、しかし、所与のグルーブを意識しつつも、グルーブありゃオッケー的な立場を取らず、例えばインテンポとルバートの中間のアンビバレントな領域に踏みとどまること。もちろんインテンポなフレームが提示されていたとしても、事情は同じになるだろう。

[2004/10/30 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

roomのジャム 

roomのジャムセッション(sofa)。この日は各パートとも多数の参加者。私は一回だけ演奏できた。ピアノの鈴木氏のVIb-V7-Im-VIIbm7→IIIb7みたいな、グローバーワシントンジュニアみたいな進行が提示されて、それに基づいたジャムとなる。ちょいとはねた感じで、どんなパタンを作ったらいいかてこずる(シンプルに弾けばいいだけなんですけどね、ついついなんかやらないと、と思ってしまうのだ)。で、良い感じにソロ奏者(鈴木氏及びりゅうた氏)に絡めなかった点が残念だった。自分のソロもやっつけな感じだったような気がする。最後のほうになって、やっと自分のグルーブをつかめた感じだったが時既に遅し。いろんなタイプのドラマーがいた。ボーカルのマルさんがかっこよかった。

[2004/10/27 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

シーナバンドのリハ 

シーナバンドのリハ。

自分にとっては、新しい取り組みである。考え方を変えて、演奏する(合奏する)こと。完成品のアセンブリングではなく、単線的あっても、サッカー選手のように、場面場面、ショットショットでの選択の自由(逆に言えば選択の責任なのかもしれないんだけど)がある音楽がやりたいのである。差し当たりイメージを言語化するならばどうやらそういうことになる。

しかしイメージを頭の中にうかべてそれを文章家したりもしているたのだが、実際に演奏してみると、そのイメージを現実は簡単に裏切るのである。まあ思ったようにはいかないのだ。

多少なりともふくらませたイメージに基づいて作っていった見取り図は、演奏においては思ったようには機能しないことが判明。苦しい展開のリハだった。

しかし、新しい取り組みについて意識的に演奏された音は、そうではないものとは明らかに何かが違う、ということは確かだ。録音されたものを聴いて、ある種の確信を掴む。もっともそういった傾向の音が、オーディエンスにとって面白いかどうか、というのはまた別の問題ではあるが、少なくとも、演奏者はそれぞれ、発音する音に対してこれまでの演奏とはちょっと違う意識をもとうする分だけ、チャレンジングで面白いかもしれない、と思う(思いたい)。

実はかなり自信がなかったし、リハ後にパーティでちょっと演奏する機会があったのだが、そのときまったくうまくいかなかったのでかなり落ち込んでいたのだが、リハので録音された音を後で聞いて、ちょっと安心する。

新しい試みについてはまあだれでもそうなんだろうけど、疑心暗鬼になりますね。自信を持っていきたいところ。良いミュージシャンに支えられているし。

出された音を聞いて、また方向性を修正して行きたい。基本的には、出された音に対してはおおらかに肯定する、というスタンス。だされた音こそが真実である。

それと同時に、自分はもっといろいろ関連する音楽を聴くべきだとも、思った。ある種のジャンルに対する一定の見識(っていう言葉は大げさだけどさ)は、あるレベルでは持っていると思うのだが、それだけでは通用しない、とも思う。

30日のライブでは、作ってためてあった曲を幾つかCD-Rに焼いて売ります。是非買って下さい。とりあえず、10枚程度。何卒ヨロシク!

[2004/10/24 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

忘れ物取りに行ってジャムる 

おとといライブハウスにヘッドフォンを忘れてしまったのでそれを取りに行く。そしたらジャムセッションだったので参加。仕事が思ったより速く終わったので、ホントは、森氏のバンドハッピーアワーを聴きに行けたのだが、わりと高価なヘッドフォンだったもので・・・。もりちゃんごめん。

実はおとといも林田氏に一曲入れてもらって弾かせてもらった時も、ライブハウスのベースを借りて弾いたのだが、本日も同じヤマハのベース。新しいラウンドワウンドの弦が張ってあって、キンギンビンビンなので、弾きづらいったらありゃしないのだが、さすがに、本日は慣れてきて、楽器の感じがつかめたプレイがある程度できた。4曲くらい弾いたのだが、わざとドラムよりおそーくおそーく、かなりおそーく弾いてみた。あんまり良くは思われなかったような気がする。あれだけ意図的に外して弾いたら、さすが、にずれてる、って感じにきこえた可能性は高いと思う。

数日前に、全体の中で機能するプレイについて肯定的に書いた一方で、自分のプレイの中にあるいろんな「典型的なスタイル的なもの」やら「ぴったり来るプレイ」みたいなものをなるべく切断して、単に自分なりのアーティキュレーションとか自分なりの間のとりかたとかを模索している自分がいるような気がする。でもそうすると自分の位置、ポジショニングが一般的なマトリクス上からどんどん奪われていくわけで、社会的認知という意味では問題ではあるかも。まあ、なるようにしかならんのだが・・。ただ人の目を気にしないプレイではあった。

[2004/10/15 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

いろいろ思うところありの秋である 

残念ながら、私はプレイヤとしては独創的なプレイヤではない。そういうプレイヤになりたいとはいまだに思っているが、多分その器ではないのだ。

別件にて久々に昔の演奏とか聴いていたのだが、共演者に申し訳ない気持ちになった。きちんとやらなくてはならないことをやっておらず、変わったこと(といってもたいしたことではないのだが)をやりたがり、楽曲の本質的な部分をロストしたりすることが多いのだ。これは実際に楽曲の構成をおとしてしまうのみならず、妥当な雰囲気を出すようなプレイをまったくしようとしていなかったりと、私はなんだか、「分かっておらん」、プレイヤなのだ。まあ他者の目が気になってるくせに、実際のプレイは実に独りよがりな感じというか。

一般的なアンサンブルでは、プレイヤは、まずは自分の役割を理解して、それをきちんとこなすことがまずは大事なんだと思う。それが出来てから、自分を出したりとか、そういうセカンダリーなことになるのだ。

しかし、あるレベルにおいては、役割としてのプレイと自分のプレイの位置づけは、逆転することになるであろう。例えば、昔のすぐれたセッションミュージシャンは、自分の持ち味で曲のアレンジにまで決定的な影響を与えることができる技能をもった人間たちだったと思う。例えば、デビット・T・ウォーカーのプレイは、ある種の音楽的ジャンルを彩るパートとして成立している。自分の役割をこなすというレベルではなく、自分自身が楽曲群の構成要素と同一化してしまっているわけである。もちろんスティーブ・ガッドだってそうだし、ラリー・カールトンとかもそうだ。ここでスタジオミュージシャンは自分自身を出すということが、機能を果たすこととなり、自分自身が機能する「型」(スタイル)となるわけである。

自分を出すことを否定し役割としてのプレイに同化することにより、逆に自分を出すことになるという一種の逆説、否定の否定ってやつだろうか、そういうものが、プレイヤには不可避なのかなあ、とも思う。

[2004/10/13 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

林田くんのバンド聴きにいく 

林田氏のオルガンのバンドを聴きに行く。メンツは林田氏と森氏と日比野氏と天倉氏。このライブは、最近行ったライブで一番良かった感じがする。といってもそんなにたくさんライブに行ってるわけではないので、説得力ないな。

前回聴きに行った林田氏のバンドとはドラマーが違う。それは大きな違いだ。

曲的には一発もののファンクが多すぎた感じがした。終いには飽きる。アンコールは、バカラックの曲を軽くさらっとで十分だと思った。でも最初のステージの最後の2曲は素晴らしかった(一発もののファンク含む)。

今回は前よりも、4ビートものが少なかったように思われる。There will never be another youのような曲といわゆるファンクものの落差が大きい。あの手の歌ものを、ファンクもの中心のレパートリーの中でどういう雰囲気で演奏したら面白く聴かせられるのか、ってあたりは、ことによると研究すると面白いのかも知れない、と思った。多分、もっとファンキーさを醸し出すような工夫をしたら良いんだと思うのだが。

[2004/10/13 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

おがたくん3年ぶり来宅 

おがたくんが自宅にベースの録音のために来る。おがた君の曲の録音。最初ざくっと自分の好きな感じでプレイすると、ダメだし!で、ディスカッションしながらおがた君の望むプレイをすべく努力。上もの(メロディ)にあうシンプルなベースラインを録音するが、手癖が邪魔してなかなかうまく弾けないものである。結構時間がかかるが、楽曲のなかで機能するラインがあるのだ、という観点からは、なかなか興味深い録音セッションとなる。

楽曲において、機能することとは、曲のパートとして一定の役割を果たすことと同義である。自分を出すことはここではある意味、セカンダリー・マターなのだ。しかし、ある種の優れた音楽家は、曲のパートとして一定の役割を果たすことと、自分のプレイをすることが一致しているものだ。優れたベーシストとは、ことによるとそういうタイプのプレイヤなのか、とも思う。

全体を把握せずとも、パートとして機能しておれば、楽曲そのものは成立するのだ。だとすれば、例えば極端な話、メロディを聴きながら演奏する必要はないのだ。

複雑なアレンジ、多くの楽器を必要とするフルオーケストラの演奏で、書くパートの人間が全ての他の楽器によるメロディやらリズムやらを聴くことは絶対に不可能であろう。指揮者は神の位置におり、全てを把握する(オーディエンスもアンサンブル全体を把握できる位置にいるだろう)が、それぞれのパートを担当するプレイヤには、それは不可能だ。重要なのは、自分に与えられたパートを間違えなく、的確にこなすことなのである。そして、その積み重ねとして、偉大なおとの世界が構築されるわけである。

[2004/10/02 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)

バンドの打ち合わせ 

10/1と10/4は、大度氏宅でシーナバンドの打ち合わせ。4日はドラマーの天倉氏も登場。ライブバンド的なものと、コンピュータ的なものを組み合わせて、面白いものができるといいなあ、と思う。しかし、それっぽいもの、にはどうやら私的にはそんなに興味がないのだ。例えばいまオウテカが面白くてはまってるけど、単純にノイズ的なものをちりばめてそれっぽくやるみたいなことは、無理だし意味もないのではないか、と。オウテカのサウンドはいろいろな刺激の元であり、いろいろ考えさせられるのだ。まずはオウテカのグルーブを捉える必要があると思う。このバンドのリズムはなかなか強力である。そしてまたそのグルーブの中のイレギュラーの部分が刺激的であり、そういう揺らぎ的なものをどう捉え、ライブ演奏にその刺激を吸収できるか、とか。

まあいまんところは、あくまで机上の空論であって、実際の演奏に反映させるには、それなりに効果的な方法論までに行き着くことが不可欠だし、それに基づくプラクティスが必要となるだろう。しばらくはライブでもたいしたことはできませんので、期待しないで下さいね。ずっとたいしたことない可能性もあるし・・・・。

[2004/10/01 23:30] not yet categorized | TB(0) | CM(0)