明日、っていうかもう今日ですが、外苑前のカジュアルイタリアン食堂で以下のイベントがあります。
私は出演しませんが、今回も素晴しいメンツがそろってます。
よろしかったらぜひどうぞ。
以下、ベタばり御免。
SoulGardenVOL.6 ついに6回を迎えましたファンキーすぎるディナーショウ、ソウル鉄砲水とも言われるSoulGardenです。 よくも続くものですね。
さて今回も泣く子も踊る!豪華な面々でお送りします。 是非ご来場下さい。
☆maru live+ovall edition
maru(VO) 菱山正太(key)伊原広志(g) 鈴木信悟(b)白根佳尚(ds)
今回はついにあのmaruが、待望の登場です。
今まで飛び入りで、あの人は何者?と言う問い合わせが殺到しておりましたが、自身の登場は初めてとなります。女だてらに「男の星座」なソウルシンガー!しかも素晴らしいメンバーとともに!
http://mixi.jp/view_community.pl?id=477335
公式ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/marumusicvox/
☆JariBu
日本でも珍しい、そして勿論SOULGARDENでは初のアフロビートの団体。しかもしかも今回がデビューライヴとなります。
☆武蔵野ファンク
鐵切 伝九郎(Ts、司会)、パルメザン(trb)、キリマンジャロ(Gt/股関節脱臼の為休場)、コサックマサ(key)、ボボメキシコ(Dr)、ボス(Bs)
http://webstyle.jpn.org/m-funk/
SoulGardenではすっかりお馴染みです。
出会い系ファンク団体。
しかもそれだけではありません!
今回SoulGarden-武蔵野ファンクのスペシャルゲストとして登場するのは、
ソウルシンガー ORITO
(Profile/officialwebsiteより)
1995年、アル・グリーンを70年代の大スターへと仕立てた傑物、ウイリー・ミッチェルのプロデュース、メンフィスは「ローヤル・レコーディング・スタジオ」録音によるアルバム「SOUL JOINT」で逆輸入デビュー。このアルバムは日本に続いて、アメリカ、イギリスでも矢継ぎ早に発売され、メンフィスで行われたデビュー・ショウケイスの模様は日本人としては初めてメンフィスの「名誉市民」の栄を浴すというトピックもあって、CNNで全世界に配信される。日本でもテレビ朝日の「ニュース・ステーション」が特集枠を組み、この模様は「大型国際派シンガーのデビュー」と大々的に放映される。
http://www.jvcmusic.co.jp/orito/
青山JANOJA
http://www.janoja.net/
Charge:ADV 1000円 / DOOR 1200円 (D別)
OPEN:18:30/START:19:00
Information 青山JANOJA
東京都港区南青山2-22-2 クインビルB1 03-3475-6099
イタリアワインも充実、中高級ワインが
お手頃価格で常時20種以上!気取らないお店
だから女性だけでも気楽に食事もワインも
楽しめちゃいます.
イタリア産の麺、トマト、オリーブ、
シチリア島の塩を 使った本格パスタは、
一人前づつすべてオーダーが入ってから
仕上げる丁寧さ。ソースもすべて手作り。
モッツァレラはその日の朝に仕入の新鮮さ
です。勿論イタリアワインも充実、
中高級ワインがお手頃価格で常時20 種以上!
気取らないお店だから女性だけでも気楽に
食事もワインも楽しめちゃいます。
バザー大会
今回もやってしまいます。
いきなりバザー大会。
イタリア直輸入の食材から、あのワインまで驚きの価格でご奉仕します。但し早い者勝ち待ったなしです。
ところで、テンポが速い攻撃的なフランスのサッカー大好きなんだけど、全然点が入らないなあ(対トーゴ戦、前半終了時)。
U氏へベース教えている際に、マイルスが演奏したマイケルジャクソンのヒューマンネイチャーがいい、なんて話が出て、そういえば以下のような文章を書いたことがあったなあ、とここで再びさらします。プリンスとの関係なんて話もしたばかりだったので、あくまでも個人的にはですが、ちょっとこのへんタイムリーな話題だったりしてます。
◆ 80年代以降のマイルス
(0) はじめに
「酒をめちゃくちゃ飲み、コカインも一日じゅうやって、一晩中セックスしまくって、それで理想の音楽が作れるわけがなかった。」(『マイルス・デイビス自叙伝II』207頁、宝島社文庫。)
70年代後半から80年代前半にかけて、米国芸能界におけるコカインの蔓延はものすごいものがあったようである。多くのポピュラーアーティストがそうであったように、70年代後半のマイルスはコカインの蔓延の渦中でもがいていたということができるだろう。例えばジャコ・パストリアスは、マイルスが復帰するのと入れ替わるかのように、コカインと酒に溺れていく。この二人の違いは、ジャコがジャンキーになりながらも演奏を続けようとして野垂れ死んだのに対し、マイルスはジャンキーであった間は一切音楽をせず、(かなり)クリーンな状態になって復帰した点でであろうか。マイルスはドラックによって強化された死の欲望に取り憑かれるも、完全には悪魔に魂を渡しきらない音楽家のようだ。
もっともマイルスがドラックに身を崩したのはこれが最初だったわけではない。1949年から1953年にかけて、マイルスはヘロイン漬けだったのだ。この時期多くの重要なジャズミュージシャンがヘロインに冒されていたのが、ビーバップからハードバップへ移行を支えていたのはジャンキーだった彼らである。マイルスはそのうちの重要人物の一人であり、非常に優秀なポストビーバップ的なトランペッターだったといえよう。しかし、例えばビーバップ時代にそれとは一線を画する『クールの誕生』(1949)を発表したことからも明らかなように、マイルスは40年代から既にサウンドを重視する音楽家であったわけだが、さすがにヘロイン中毒期にはサウンドクリエイターとして素晴らしいものを生み出
していたとは必ずしも言い難い。この時期は、バンドサウンドという意味で言えば、室内楽的と呼ばれたモダンジャズカルテット(MJQ)に一日の長があったといえよう。マイルスがバンドリーダーとして自らのサウンドを成立させるのは、ヘロインから立ち直ったあと、具体的にはプレスティッジの4部作に代表される、ジョン・コルトレーン(sax)、レッド・ガーランド(p)、フィーリー・ジョー・ジョーンズ(dr)によるグループ成立以降である。LP最初期の録音の一つである「ディグ」によってハードバップ的な可能性を開示しておきながら、その後マイルスは数年間、出遅れることになるのである。
と過去を振り返りつつ、ここからが本題である。復帰移行の80年代以降のマイルスをどう捉えるか、である。それを明らかにするのが本稿の目的である。
(1) 80年代マイルスにみられる二つのバンドサウンド
復帰第一作目の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』には二つのバンドによる演奏が収録されている。一つは復帰にあたってリハーサルを重ねてきた甥のビンス・ウィルバーン(dr)らによるバンドによる演奏、もう一つはアル・フォスター(dr)、マーカス・ミラー(b)、ビル・エバンス(sax)らによるバンドによる演奏。私はこの二つのバンドを対立的においてみることにより、80年代のマイルス・バンドのサウンドの推移をクリアに示すことができると思う。
二つのバンドの特徴は、以下のようにまとめられると思う。
●アル・フォスターとのバンド:
70年代のマイルスの音楽と地続きの部分をもつが、混沌の度合が弱まり(例えばマイルス自身ワウワウペダルを使用しない)、よりプレイヤのインタープレイやアドリブが見えやすいもの
●ビンス・ウィルバーンとのバンド:
80年代的なポップスの様式を導入し、ジャズ以外の要素を強く感じさせるもの
前者のサウンドの方向性を「バンドサウンドI」、そして後者のサウンドの方向性を「バンドサウンドII」と呼んでみよう。この二つの方向性の違いは、誤解を恐れず端的に言ってしまえば、その後のマイルスバンドの80年代以降における「ジャズ的なもの」と「ポップス的なもの」との二元論的対立関係をそのまま示しているものとして捉えられるであろう(注1)。
マイルスはこの復帰アルバムについて、次のように語っている。
「ビンス達とレコーディングしてみると、新しいバンドでコンサートをやる時につかえるのは、ビンスとビルとロバートだけだとわかって、がっかりした。その上レコーディングした曲を聴いてみると、一枚のレコードを構成するには、何か別のこと、違った種類の音楽が必要だということもわかった。それで、スタジオであんなに多くの時間を費やしたのに、レコードに入れたのは、<ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン>と<シャウト>のたった2曲だけになってしまった。」(同上、226ページ)
その後しばらくの間の音楽的展開をみても、当時のマイルスが「バンドサウンドI」の方にプライオリティをおいていたのはまず間違いない。この復帰アルバムに続いてリリースされた2枚のアルバム、すなわち2枚組ライブアルバム『ウィー・ウォント・マイルス』(1981)及び『スター・ピープル』(1982)が、アル・フォスターやマーカス・ミラーとのバンドによって録音されているからである。このバンドは、コンサートもでき、レコーディングもできるジャズ度の高いバンドである。復帰にあたってリハーサルを重ねてきたバンドとは違う種類の音楽が、すなわち「バンドサウンドII」ではなく「バンドサウンドI」
が選択されたのである。
しかし、「バンドサウンドII」が完全にその可能性を失ったということではない。むしろ、マイルスのその後の80年代の歩みを、「バンドサウンドII」による「バンドサウンドI」の凌駕・駆逐のプロセスとして捉えることは妥当だと思うのである。例えば、復帰後第5作目の『ユーアー・アンダー・アレスト』(1984)で採り上げられることになるマイケルジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」やシンディー・ローパーの「タイム・アフター・タイム」といったトップチャートソングは、まさに、ビンスとのバン(バンドサウンドII)ドでのアプローチ、すなわち「80年代的なポップスの様式を導入し、ポップスを強く感じさせる」もの、「バンドサウンドII」に他ならないのである。70年代からマイルスがジャズよりソウルやファンクなどを好んで聴いていたというのは有名だが、マイルスバンドにおいて、ほとんどポップスそのままのサウンドが演奏されるようになるのは、80年代に入ってからであり、そしてそれは、復帰後のアルやマーカスとのバンドによるスリリングな演奏(「バンドサウンドI」)とは違った、復帰第一作において既に試みられていたもう一つの可能性のライン(「バンドサウンドII」)から始まるものなのだ(注2)。
正式なリリースを伴うことはなかったが、プリンスとのコラボレーションも行われていたし、またマイルスの最後のアルバム『ドゥ・バップ』(1991)におけるヒップホップへのアプローチも、このラインの延長線上にあるといってよいと思う。
(2) 「テオの音」による抑圧と、『デコイ』によるその解放
ところで、『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』、『ウィー・ウォント・マイルス』及び『スター・ピープル』と、復帰後の三作品はいずれもプロデューサーをテオ・マセロがつとめている。テオは、いうまでもなく、60年代及び70年代のマイルスのレコーディングサウンドを支えてきたプロデューサーである。復帰後の三作品は、サウンドエンジニアリング的な観点からみても、基本的には70年代のマイルスのものと大きく違わない。ダークで、深いリバーブをもち、そしてドラムのハイハットの音がでかいこと。これはマイルスの作品に限らず、テオによるプロデュース作品一般にみられるユニークな傾向なのかも知れない。しかし、このテオの音は、80年代的なものであるとは言い難いのだ(注3)。
『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』において、ビンスとのバンドで録音され採用された曲は、一つは歌もののコテコテのブラコン(「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」)、いま一つはポップなフュージョン(「シャウト」)なのだが、この手の楽曲は、よりクリアで明るい音で録音されるのが一般的、つまり80年代的なのである(注4)。しかし、同アルバムにおいてこの2曲は、「バンドサウンドI」の楽曲群と同じ「テオの音」で録音されているのである。アルバムのトータリティからいえば、音質の統一は仕方のないともいえるが、私たちはここに、70年代的なものを引きずる「テオの音」による80年代的なものの可能性の抑圧をみることができるかもしれない。復帰時における「バンドサウンドII」の萌芽とその抑圧、これはマイルスの復帰以降のサウンドに関するスターティングポイントなのである。そして抑圧されたものは、必ず回帰する。
テオの手を離れ、マイルス自身がプロデュースした第四作目の『デコイ』(1983)は、マーカス・ミラーがバンドから去ってはいるものの、ジャズ度は相変わらず高いアルバムである。しかし、その音は、テオのプロデュースのものとは異なり、非常にクリアなものとなっている。サウンド・エンジニアリングという側面を加味すると、この時点でやっとマイルスは80年代に入ったのだ、ということができるのかもしれない。テオ的なアンビエント主義の呪縛からの解放という意味において、『デコイ』はマイルスバンドにとって一つの決定的な契機であると考えることもできよう。『デコイ』を三つの前作と比較しつつ聴けば、このアルバムがジャズ度の高さをある程度保持するものの、同時にインタープ
レイの余地を狭めていることも認めることができると思う。その原因の一つとして、キーボードサウンドの全面的導入を挙げられよう。キーボード奏者はもちろん、ロバート・アービングIII世、ビンスとのバンドのメンバーであり、彼はこのアルバムで共同プロデューサーとしてもクレジットされている。総体として、『デコイ』は一概にポップ度が高いとは決していえないアルバムだが、すでに「バンドサウンドII」的要素を多く備えているのである。蛇足となるが、ロバート・アービングIII世は本アルバムで、ドラムマシンのプログラミング(いうまでもなくポップスの手法である)をも担当している(注5)。
(3) 『デコイ』以降の80年代マイルス
さて、ビンスとのバンドによって開示されていた可能性(「バンドサウンドII」)の発展は、ドラム奏者の起用を追うことによっても、非常にクリアに捉えることができるであろう。『デコイ』に続く『ユーアー・アンダー・アレスト』のレコーディングにはビンスが再び呼ばれているし、ライブバンドにおいてもビンスがアルに変わってドラムをつとめるようになる。繰り返すが、80年代が深まるにつれ、復帰第一作におけるビンスとのバンドのライン(「バンドサウンドII」)は、アルやマーカスとのバンドのライン(「バンドサウンドI」)を凌駕していくのだ。
それはマイルスのバンドにおけるとポップス的様式の採用度の高まりと同義である。さらには、この傾向はビンスのバンド&レコーディング参加によって止まるものでもないのである。なぜならば、そのビンスまでクビになるってしまうからである。ビンス・ウィルバーンの変わりにドラマーとして入るのは、ワシントンD.C.を発祥の地とするダンスミュージック、ゴーゴーのトップバンド、チャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズのドラマーだったリッキー・ウェルマンである。ゴーゴーというのは、ミドルテンポの特徴あるビートをノンストップで演奏しながら、その上でメドレー的に曲を繋げていくようなタイプのダンスミュージック、そしてリッキーはグルーブするビートを延々とキープすることができるドラマーである。このドラマーの採用によって、リズム的な面でのポップス化はさらに進んだということができるであろう。さらにいえば、遺作となった『ドゥ・バップ』(1991)では、もはやドラマーは採用されず、リズムパート(正確に言えばバックトラック全体)が完全にサンプリング&プログラミングによって作られるようになるのである。
マイルスバンドのライブにおけるジャズ的なインタープレイのあり方を考えてみることによっても、「バンドサウンドII」の拡大プロセスを確認することができるであろう。「バンドサウンドI」によるライブでは、アル・フォスターもマーカス・ミラーもミノ・シネル(perc)も、リズムを担当するプレイヤはソロプレイヤに絡んでいくようなスタイルの演奏を行っていたし、アドリブ的にリズムパターンやベースラインを変更することも可能であった。ライブアルバムである『ウィー・ウォント・マイルス』は、特にそうしたジャズ的なインプロビゼイションとインタープレイの魅力に満ちあふれたアルバムとなっている。
しかし、ビンス・ウィルバーンを経てリッキー・ウェルマンに至り、リズムセクションが臨機応変に仕掛けたり反応したりするようなインタープレイはみられなくなるといってよいであろう。その一方でマイルスは、ソリスト同士のフレーズの追いかけっこ、幾分戯れにも似たソロ奏者間の掛け合いを好んで行うようになる。ソリストはマイルスと合い寄り添うように向かい合い、マイルスが提示する短いラインをなぞることを要請される。それは、いわば形骸化・形式化したインタープレイであり、分かりやすくはあるが、高度なインタープレイのスリルからはかなり遠いものである(注6)。キープ中心のリズムセクションの上での様式化したソロ奏者間の掛け合いの導入によって、ジャズ的なインタープレイ、「バンドサウンドI」魅力の中心であったインタープレイの醍醐味を、マイルスは囲い込み、排するかのようである。
絶対にソリストには反応しないバックトラック、ヒップホップの短いループパターンを導入した『ドゥ・バップ』を待つまでもなく、上述のようなライブの様式を導入・確立していった時点において、ジャズ的なものからポップス的なものへの移行の大部分は完了していたと考えて良いのかも知れない。再び繰り返すが、「バンドサウンドI」的なものが「バンドサウンドII」的なものに駆逐・凌駕されていく過程、それがマイルスの80年代以降なのである。
(4) 『ドゥ・バップ』と90年代
ところで、遺作となった『ドゥ・バップ』は既に90年代に入ってからの作品である。私はこの『ドゥ・バップ』を、90年代的な音楽のあり方の嚆矢の一つとして位置づけてみたら面白いと思う(注7)。つまりこのアルバムを原点として90年代以降の音楽を考えるということである。もちろんマイルスは既にいない。答えは残された側が出さなくてはならない。
例えば『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』にみられるものとは逆の抑圧の関係を『ドゥ・バップ』にみてみたいと思う。すなわち今度は「バンドサウンドII」による「バンドサウンドI」の抑圧、ポップス的なものによるジャズ的なものの凌駕・駆逐である。マイルスが90年代の初頭に歩いていた、あるいは切り開いていたのは、そうした地政学上のポイントであったのだ、つぶやいてみたい。
私たちは、90年代に、例えば「アシッド・ジャズ」というものが流行したことを知っている。中にはかなりジャズ度の高いものもあった(その多くは、ソウルジャズ的なものである)が、ポピュラリティを形成したのは、ジャズ度の低いもの、すなわちポップス的な歌もの(代表的なバンドとして、インコグニートを挙げることができるであろう)である。アシッドジャズの流行は、しかし実は、ジャズ的なもの、マイルスのバンドでいえば、「バンドサウンドI」的なものの抑圧に他ならないのである。ある意味において、マイルスバンドにおいてはポップス的であったものを、逆にジャズ的なものとして、人は誤認(ある意味、生産的誤認)したのだ。そしてその傾向は世界的に一般化し、ジャズは身近なものになったと共に、モダンジャズの世界においてコモンセンスだった類の「ジャズなるもの」のイメージとは異なるものをも含みこむようになった。また、「バンドサウンドI」的なものの価値の相対的低下によって、これまでモダンジャズ的な歴史観においてはマージナルな位置付けに止まってきた、様々なかたちのジャズないしはジャズ的なものに光が当たることにもなった。90年代はそういう時代だった、ということができるだろう。
そして今、ゼロ年代である。抑圧されたものは再び回帰するとすれば。ジャズなるものにコミットする私たちはマイルスの亡霊と共にいまだに歩んでいるのだ。
(※この文章は2003年4月に書かれたものである)
(注1)実はマイルスには、このバンドサウンドの二元論的対立関係の傍らで、例えば過去においては『ポギー&ベス』(1958)や『スケッチ・オブ・スペイン』(1959)といったような、非バンド的サウンド、いわば、「企画もの」の系列があることを忘れてはならない。80年代にはそうした作品として『アウラ』(1985、デンマーク人パレ・ミェルボルグとのコラボレーション)、『シエスタ』(1987、映画サントラ)や『ディンゴ』(1990、ミシェル・ルグランとのコラボレーション)があるのだが、本論ではバンド的サウンドという観点に絞って話を進めることになる。
(注2)ただ一つの例外として、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』(1974)の「レッド・チャイナ・ブルース」を挙げることができるかも知れない。これはブルースハープをフィーチャーした、かなりストレートなロックブルース、あるいはブルースロック的演奏である。
(注3)面白いことに、70年代的なサウンドが支持された90年代において、このユニークなテオの音は高い評価を受けてることとなった。また、昨今の70年代マイルスの評価はテオの評価を当然含みこんでのものであるともいえる。
(注4)コンセプト的に70年代のマイルスバンドの音楽の延長線上にある菊地雅文や日野皓正の80年代前半のいくつかの作品は、しかし音質的には非常にクリアなものであり、70年代マイルス的ではないのである。テオによる70年代マイルスの音はかなり特殊であり、ある意味一般的ではないのである。しかしだからこそ、テオの個性&力量がうかがい知れるともいえよう。
(注5)本論では『デコイ』を過渡期的作品として位置づけているが、同時にこのアルバムは、ポップな手法をジャズ的なものに融合することに成功したという意味において完成度の高い作品であると捉えることも可能である。キーボードの導入はたしかにスペースを奪うが、かといって奏でられるハーモニーがポップス的なものではないこともまた確かである。
(注6)例えばトニー・ウィリアムスがドラマーとして在籍していた頃の60年代のマイルスバンドは、高度なインタープレイの典型として聴くことができる。ところで、バンドサウンドとしてのインタープレイの矮小化は客観的事実として80年代後半のマイルスバンドに存在する。しかし、本論では触れていないが、マイルスという存在自体の奏でる音の強さは、バックのサウンドが単純化することによって逆に赤裸々な状態で耳に焼き付くことになる、という点は補足的に述べておきたい。
(注7)『ドゥー・バップ』は、ヒップホッパーとのコラボレーションであり、「企画もの」として位置づけられもする作品である(注1参照)。本論では、80年代における「バンドサウンドI」と「バンドサウンドII」との対立関係のさしあたりの決着地点として、そしてまた同時に90年代的なものの始まりの地点として、つまり過渡期的な多面性を持つものとしてと捉えてみたい。
セッションの帰り道、ピアニストのB氏とプリンスの話をしていて思い出した。そういえば以下のような文章をかいたことがあったのである。ちょいと引っ張りだして再びさらしてみる。
これからジャズを横断するつもりなのだが、いきなり非-ジャズで申し訳ない。Princeである。私はPrinceのいい聴き手であったことはかつて一度もなく、信奉するマイルスが彼と何かをしようとしていたと聞いても、あのぎざぎざねっとりな歌声になかなか触手がのびずにいた。しかし、ちょいとしたきっかけがあって、CD3枚、60曲余りで構成されるベスト盤らしきものを買った。
そこには、現在ドミナントなポップ美意識(といっても人によって意味するところは違うわけですが)とはちょいと違った世界が展開されている。音色やリズムに対するアプローチに隔世感を感じずにはいられない。The Rootsのドラマー?estLove(クエストラブ)がTVのインタビューで、現在のディケードは、だれもが決して想像しなかったようなことが起こるアイロニーのディケードであり、その理由の一つとして、かつてあれだけ賞賛されていたMicheal JacksonとPrinceがいま、価値的に地に落ちている、みたいなことを言っていた(彼自身は両者とも好きだが、というエクスキューズ付きで)。確かに、例えば今、Micheal Jacksonが流行らせたムーン・ウォークなるダンスステップをステージ上でやったり、Princeの'Kiss'をカバーしたりする輩がいるとするならば、それはたぶん、当時の流行を知っている人から笑いをとる目的でもなければ場違いなものとなってしまうのかもしれない。その昔'YMCA'をヒットさせ、すでに全員Aidsで死んでしまったという噂(真贋は関知せず)のVillage Peopleというディスコバンドがあったが、上述の二人は、現在は「芸能人」としてはそれと似たような格付けだ、と言い切ってしまったら苦情が出るな(特にPrinceは)。
ポピュラー音楽はその名前の通り、ポピュリズムを原理としている。どっかの国の首相と同様、はやりすたり、人気取り商売なのだ(そういえば細川某という元首相がいたが、彼はいったい今何をしてるんだろうか・・)。そして徹底的に持ち上げられて徹底的に貶められる、これが常の世界。ヘテロで「正常」な男性的魅力の人気者Clinton元大統領はなぜかスキャンダルに押しつぶされなかったが、Micheal JacksonとPrinceには、かなり倒錯的なイメージもあるわけで、より笑いの対象に貶められやすいのかも云々。しかし、そういったことはどうでもよいことだ。音楽を聴こう。
以下、ざっと聴きで、Princeの音楽について感じたこと、箇条書き。
・基本的には「ファンク」という世界によくあるような、ブラックミュージックへのロックの逆輸入によって成り立っている音楽であること(この場合特に、80年代ニューウェーブ的な美意識が濃厚なそれ、といったらいいのかなあ・・)。従って、Princeは米国黒人音楽の歴史的観点からは、「ファンク」の鬼子として記憶されるべきアーティストなんだと思われる。
・80年代的なデジタル音楽制作がふんだんに取り入れられていて、その範囲での様々な実験がなされていること。アレンジ的な実験、例えばベースパート(ベースライン)を省いてしまうみたいなことは、ヒップホップを通った耳には当たり前だが、たぶん当時は新鮮だったのではないか、と思う。
・ボーカルを除くと、サウンドには思いの外に猥雑さが感じられないこと。「汚し」的な音響効果やグルーブにおけるファジーさやレイドバック的なものがそこにはないのだ。逆に過剰にタイトさを目指した楽曲が見うけられる(それはそれで非常に面白い)。利用されるハーモニーはテンション(あるいはジャズっぽさ)を感じさせないものが多い。
・様々な音楽的意匠を取り入れたPrinceワールドを形成している。ベスト盤を聴くとビートルズ的なんでもあり感(質感はビートルズとは全然違うけれど)が漂ってくる。
・私的にはファルセットボイスは気持ちよかった。
PrinceとMilesとのセッションがどういうものだったのかは知らない。バキンバキンにタイトでファンキーなリズムの上でPrinceのファルセットボイスとmilesのミュートトランペットがからむ、みたいなものは聴いてみたいような気がする。ホントにからむようにやってくれたら、なかなかなもんなんじゃないか、と思う。でそれが、Milesの最後のアルバム「DooBop」で聴けるようなレイドバックおよび男性的なラップとの絡みとは正反対なやつだったりするとうれしい。