東京ジャズに興奮しつつライブ告知なぞを 

何夜連続かでNHK BSにて本年の東京ジャズの録画放送が行われております。今日はチックコリア&トロンハイムジャズオーケストラをやっていて、なんだか非常に感動してしまいました。

かつて、ティーンエイジャーの頃、ピアノ、キーボード奏者では誰が好きって、なんといってもチックコリアだったんですよ。しかも、もちろんカモメのアルバム(return to forever)ももちろん好きだったのですが、デイブホランド、バリー・アルトシュル、アンソニー・ブラックストーンのCircleというユニットの「パリコンサート」というアルバムが大好きだったのです。

本日オンエアされたマトリクス(チックコリアの有名なブルース)なんか、Circleのころのやり方を踏襲した感じの演奏だったものですから、なんというか、"ティーンエイジャーの魂百まで"というか、やはりチックコリアの編み出したといっても過言ではないであろうこの手のジャズってのはホントに素晴しいなあ、と改めて思ったわけです。繊細で激しく複雑な音とリズムの絡み合いに引きずり込まれつつ、ああ、こういうジャズが、俺が当時憧れていたジャズ、同一化したいと熱く思っていたジャズの一つのかたちだったのだなあ、などと懐かしい気持ちにもなっておりました。

こういう演奏を聴くと、やはりジャズというものは本当に素晴しいものだと思います。好きでよかったとつくずく思いました。

さて、ライブの告知です。
恒例の月一イベント、Soul gardenでは、今回スペシャルなゲストを迎えます。

11月25日(土曜日)←Don't forget the date of the gigですよね〜ヶタヶタヶタw
Special Session feat. Ryojiro Furusawa & Kosuke Mine
 古澤良治郎(drums)
 峰厚介(sax)
 椎名(Bass)
 森孝人(Guitar)

w/武藏野ファンク、JariBu

 Charge:adv/2000yen door/2500yen(D別)
 Open:19:20
 @外苑前Janoja
 http://www.janoja.net/

楽しみですね!





[2006/11/22 02:09] gig/session | TB(0) | CM(5)

ライブ告知なんすけど 

今度の土曜日に自分リーダーのセッションバンドをやるっす。
タイバンが武蔵野ファンクの一味。俺らが先攻でやるっす。
トリオで"ばりばり" "しとしと"やるっす。

 やる曲:
 最悪の主体-位置 the worst subject position
 資本主義の走狗 a running shit of capitalizm
 デブっちょディアンジェロ Fat D'angelo
 自殺列島日本 The suiside islands Japan
 ジョージとジョンイル George & Jong il
 
 ウソ
 
よかったら聴きにきてくだされ。

●Nov.18 (sat)
Shiina Tatsuto Band @ClopClop(西荻窪)
http://www.clopclop.jp/

椎名(Bass)
森孝人(Guitar)
吉川弾(Drums)

w/武蔵野ファンク(G)

OPEN 19:00
START 20:00
Charge: 2,000
[2006/11/14 01:53] gig/session | TB(0) | CM(0)

おがたくんの新アルバム 

パーカッショニストで作曲家のおがたたけろう氏の新アルバムがリリースされました。私、このアルバムの多くの曲でベースを弾かせてもらってます。

http://www.musique.nu/mundonovoalbum.html

でさわりが聴ける曲が数曲ありますので聴いてみて下さい。ブラジリアテイスト、特にエルメトパスコアル、トニーニョオルタ、エグベルトギスモンティ、ミルトンナシメント、パットメセニーあたりからの影響を感じさせる曲風と独特なキュートさが一体となっていて、曲として聴きごたえのある感じになっていると感じました。

おがた氏は現在は休止してる感じのShiinaBandに参加してもらっていた古くからの友達。このアルバムは、MUNDO NOVO(ムンドノーヴォ)という名義なんだそうです。

サンプルを聴いてみてね〜。
[2006/11/07 17:09] music in general | TB(0) | CM(3)

昔書いたもの(メール対談抜粋) 

ありものばっか掲載御免ですが、2003年の秋頃に今は無き「電化ジャズ通信」でのヒップホップに関するメール対談での一節。この頃は、ドイツでアフリカンポップスのバンドとかやっていたせいもあって、ブラックネスに関する気負いが感じられる文章となっております。

(椎名[聞き手])
ブラックネスっていうのについては、黒くない私にとっては結構考えさせられるものがあるんですよ。例えば、一緒に演奏してるガーナ人とかセネガル人って、やっぱ自分たちのアフリカの音楽を大事にしてるわけですね。20世紀の頭くらいから発展してきたポピュラーミュージック発展型としての現在の”彼らの”音楽を演奏している。ほかの土地で発展したレゲエやサルサなんかも演奏するんですけどね。米国の黒人もやはりブルースやらJazzやら、20世紀の頭くらいから発展してきた音楽の歴史を持っている。国民国家の歴史、近代化とともにブラックミュージックはそれぞれの国や地域で発展してきている。で、振り返ると私は日本人なわけね(笑)。

実は日本人も持ってるわけですよね。明治以降の近代日本の大衆歌謡の文脈ってのがある。でも、たぶん今回の対談の参加者って、そういう文脈を無視&軽視してると思うんです(まあ少なくとも私にはそういうところがある)。それで他者の音楽(特に黒人の音楽)に向かってる。洋楽好きってのはもちろん、若い世代には一般に観られることなんだけど、まあ日本の場合、油断すると結局は日本的大衆歌謡の歴史的経緯に飲み込まれちゃう場合が多い。結局みんな演歌になっちゃう。一方逆にその反動形成としての、日本的なもののを極度に嫌うエリート主義的「本物志向」の強迫神経症ってのもあるんだけど。

ブラックネスに対する意識って、日本のそういう文脈に対する距離感と関連するものであると思うです。それは、安易に日本的同一性(あるいはその反動としての「本物志向」)に飲み込まれないぞ、という意志であり、決意であると。

ブラックミュージックって、近代世界史的にみれば、圧倒的に被支配者の音楽だった。そして今でも、被支配者の同一性獲得のメディアとしての存在し得る音楽であるんですね。ぶっちゃけていえば、音楽を聴いて踊り狂っている限り人は分け隔てないわけです。でも、さらにそうした音楽としてのあり方から、もうひとつ、抜け出るような音楽のあり方、つまりブラックネスを持ちつつも、同一性のメディアとしてのあり方を超出するような音楽のあり方、そのあたりには強くひかれるものがあります。日本の一般大衆的なものであれ黒人=被支配者であれ、結局のところ同一性獲得というレベルでは同じですから。そうじゃないブラックネスとの関わり方ってのが、私(日本人)としては面白いかと思うわけです。

で、具体的には、ModernJazzというのはそういうものを含んでいたと思うんです。ModernJazzって、基本的には踊らないJazzなんですよね。それは近年「踊れるJazz」の部分が拾い上げられて再解釈されもしたわけですが、私は今は逆に、踊れないJazzってのに注目したいですね(笑)。ある意味ModernJazzの、どんどん踊れなくなっていったプロセス、これを、同一化のための音楽であることを放棄していったプロセスとして考えてみたいわけです(政治的にはブラックネスの同一性獲得のメディアとしての側面を全面に打ち出したフリージャズさえたくさんあったわけですが、音楽の様式としての非ダンス音楽化はこれは明らかに同一化の媒介の放棄として理解出来ると思うのです。ある意味ではブラックパワーとしてのフリージャズムーブメントの矛盾がそこにあるともいえるでしょうが。)。で、そういう性質を持っているという意味では、Jazzは特権的なブラックネスの場であり、そこにあるブラックネスをちょっと重点的に見つめてみたいかな、なんて思ってます。

まあ頭でっかちなはなしですけどね。ブラックネスっていうのを、そういうものとして位置づけてみたいわけです。


(椎名[聞き手])
日本人である私たちにとっては、ブラックネスは、陥りがちな同一化からの距離を保つための媒介(他者)になりうるわけですが、D'angeloはアメリカンアフリカンなので、ちょいと話は異なると思います。ブラックミュージックは、彼らの音楽なわけですからね。(日本人にとって、ブラックミュージックは、単純にそれを「私の音楽である」とはいえないと思うんです。)。だから、D'angeloの音楽が、「同一化のための音楽であることを放棄するものとは異なる」というのには全く同意します。同一化の再構築、再解釈、新しい同一化の生産、ってな感じだと思うです。D'angeloの音楽は。

彼は、既存の流行ものや黒人音楽や過去のブラックネスに安住するのではなく、新しいブラックネスを音楽的に真摯に構成していこうとする力に満ちあふれてる感じがするです。過去の文脈の掘り下げは、新しいブラックネスの獲得のために行われている。まあ基本的には、HipHopが過去のJazzやFusionを掘り下げてきたの同型であると思いますが。HipHop的な文脈と重なる部分を多く持ちつつ、SoulやFunk的なものを継承&再解釈して、さらにはJazzをもカバーするかなり広い視野でブラックネスを構成しようとしている感じがします。

Jazzのモダンアート的な発展的構築(ビーバップ)から非構築的発展(フリーJazz)にいたる運動(踊れなくなる方向へと向かう運動-既に終了してますが)と、SoulやFunk、HipHopにおけるブラックネスの発見・再解釈の運動(どんなにレイドバック等しようが、基本的には踊り-グルーブが維持される運動だと私は思うです)ってのは確かに違うと思います(政治的にはどちらもブラックパワー的なものと接合されていた部分はあると思いますが、音楽的には別に考えるべきだと思います)。D'angeloにとってのブラックネスは、つちや氏おっしゃるとおり、基本的には同一性の獲得の媒介なわけですが、ただ、「既に獲得した同一性の再確認」というよりは、過去の文脈の再解釈による、「新しい同一性」(新しいブラックネス)の生産、という側面を強調したい、っていうのが私の聴き方です。過去に根ざしながら新しいブラックネスを生産してるところ、そのへんがたぶんD'angeloのすごさかなあ、と思うです(当たり前ちゃあ、あたりまえですが)。

そうえいば、D'angelo、CommonやFera Kutiトリビュートの作品に参加してるJazzのトランペッターRoy Harglobeが、D'angeloのツアーはすごい体験だった、みたいなことを雑誌のインタビューで言ってました。少し話が脱線しますが、たぶんこれから3年くらいで、若手の黒人JazzプレイヤによるSoulJazz的やらHipHipJazz的なものが結構でてくるような気がします。既につちや氏が言及してるSoulive。ああいう音楽をやることは、Jazz系ミュージシャンにとっては技術的には難しいことではないわけです。あとは感性(あるいは知性?)の問題。HipHopやD'angeloあたりのニューソウル的なものをフォロー可能な感性をもったJazzミュージシャンであれば、面白いものを作り出せる可能性はある思うですよ。もっともそういう路線のものとしては、過去にたとえばBranford MarsalisがHipHopの文脈取り入れてやってたりもしてるわけですが、今の音楽としてね。まあいずれにせよ、私の希望としては、Jazz系のひとが現在型でそういうことをやるとするならば、モダンジャズのもつどっかしら非-同一性的傾向を含みこんだ、アンビバレントな「問題作」やってほしいと思いますです。おがた氏もいってましたが、流行ってるからやるってスタンス(実はそれはそれで別に悪いことだとは思わないけど)以上の、なんか過剰な要素があるもの(あるいは逆に過剰なまでになんにもないものでもいいんだけど)が出てくるのを期待したいところです。

聞き手のはずがいろいろ言いまくってしまいすいません。ヒップホップとジャズの話がだいぶ脱線しちゃいましたね。まあ脱線もこういうトークの醍醐味であるということにして、・・・・


てなわけで、3年前の記事で、なんといいますか予測的というか希望的観測といった趣きなことも書いてますが・・・。
[2006/11/06 02:28] music in general | TB(1) | CM(2)