インターネットは、突如としてイデオロギー作用大爆発の場所になる。可能性とともに危険な場所なのである。
ジジェク(スロヴェニア人の批評家、『イデオロギーの崇高な対象』の著者)が日本人だったら、きっと大喜びするであろうようなネタである。
反中国的感情の拡大再生産の場となっている。見事である。
中国の野菜の農薬残留や中国の高度成長にともなう環境汚染といった、既にある意味、常識的な問題は、こういうかたちで言語化され一般化され、中国に対する蔑視的イメージが固定・拡大していく。
ジジェクが面白いのは、単に差別的なイメージ形成の記号論的な操作のメカニズムを語るに止まらず、どうしてそうしたイメージが我々に強く「響く」のかについての説明、さらには、そうしたイメージに対処する主体のあり方にまで踏み込んでいることだ。
ジジェクはユダヤ人を例にとって語る。
”ユダヤ人は明らかに社会的症候、すなわち、内在的な社会的敵対性が、肯定的な形態をとり社会の表面に噴出してくる点、社会が「うまく機能せず」、社会の機構が「きしんでいる」ことが明らかになる点である。(コーポラティズム的な)空想の枠組みを通してみれば、「ユダヤ人」は、社会的構築物の混乱・崩壊・腐敗を外部から持ち込む侵入者に見える。つまり、それを排除すればわれわれが秩序・安定・同一性を回復できるような、外的な積極的原因のように見える。だが、「空想を生き抜く」ことによって、われわれは症候と同一化しなければならない。「ユダヤ人」に帰せられている所属性の中に、われわれの社会システムそのものの必然的産物を見てとらねばならない。「ユダヤ人」に帰せられている「過剰」の中に、われわれ自身についての真実を見てとらねばならない。”
(スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』河出書房新社、119-120頁。)
さて、2005/8/3 (Wed)のデンクロウ氏の日記には、感心させられた。
http://geocities.yahoo.co.jp/dr/view?member=magottfield
「北朝鮮」に帰せられている「過剰」の中に、われわれ自身についての真実を見事に見とっている。