4年前に書いた文章。当時どういうタイトルをつけたか忘却。多分「モダンジャズの抑圧装置」みたいなタイトルだったと思う。このころ、90年代的なクラブジャズ的パラダイムにうんざりしている気持ちー自分がその頃までやっていたくせにーがにじみ出ている文章。 バート・スターンという有名映画俳優の撮影等で有名な米国の商業カメラマンが50年代の終わりに撮った『真夏の夜のジャズ』っていう映画がある。アメリカ東海岸の避暑地として有名なニューポートで開催されているジャズフェスティバルの記録映画で、ジャズ好き、映画好きの人なら多分知ってるんじゃないだろうか。確か私は高校のときに多分深夜テレビかなんかでこれを始めて観たんじゃなかったかなあ、と思う。ジャズの魅力に取り付かれはじめたころだったため、一生懸命食い入るように観た記憶がある。もちろんアニタ・オデイ、セロニアス・モンク、チコ・ハミルトン、サッチモ等々のステージが観られるものの、音楽そのものはどうもこの映画では従属的な位置を占めているに過ぎず、印象的なのは、アーティストの立ち振る舞いを非音楽的な興味からのぞきこむカメラのまなざしと、音楽を聴いている聴衆の魅力的な姿なのである。ジャズ好きの当時の私としては、音楽的にはあまり楽しめない、あるいはインパクトを受けない映画だったけど、ファッショナブルで映像がカッコ良いいなあ、といった印象を受けた映画だった(いつだったか、タバコをくわえたチェリストが演奏するイメージを用いたピースライトというタバコのテレビCMがあったが、あれはこの映画のワンシーンのパクリである)。撮った張本人がアメリカでは一流の商業カメラマンと知って、ああ、なるほどなあ、という感じである。 この映画が印象に残っていたもう一つの理由は、ジャズについて当時本によって覚えた知識とは違ったことが描かれていたからである。それは、まず第一には、ジャズを聞きながら、観客が踊っているという映像である。そして第二には、ジャズフェスティバルでありながら、ロックンロールの創始者チャックベリーがカウントベイシーオーケストラ黄金時代のドラマー、パパ・ジョー・ジョーンスをバックに演奏している映像である。素直な私は当時、ジャズは、スイング時代のダンスのための音楽から観賞する芸術としての音楽へと移行発展をとげ、他のジャンルの商業音楽とは別の芸術音楽としてのジャズという枠組がきちんと確立されてきたのだという類のモノの本による知識をうのみにしていたのであり、そうした映像は私が持っていた先入観に居心地の悪い揺さぶりをかけたのであった。 当該作品のDVDリリースにあたり、米国の大手書店バーンズ&ノーブルがバート・スターンにインタビューを行っており、それが興味深い。彼はジャズは当時は別に好きではなかったこと、また、貧困な南部から生み出されたジャズが北部リッチ層の避暑地で演奏されるという矛盾(ジャズとニューポートの対比)に対する興味がこの映画を撮らせたとのことである。 なるほど、確かにそう言われてみれば全て納得できるものである。カメラが演奏者や歌手を捕らえるまなざしは、音楽をプレイする人間に対するリスペクトとは違ったなにかを含意しているように思える。変な例で恐縮であるが、例えば素人の私が冬季オリンピックの女子フィギュアスケートを見るとき、クワンの鼻はりっぱだなあとか、どうしたって演技者の容姿スタイルコスチューム立ち振る舞いなどに目がいってしまうように、この映画のカメラは演奏者をまなざすのである。その意味において、非ジャズファンであるスターンによるカメラのまなざしは、ニューポートに集まるリッチ層(ジャズをリスペクトするわけではない聴衆)の大多数のなまざしと大差ないものであろう。しかし、音楽プロパーでない人間にとって非音楽的な要素をカッコに入れることなんて出来ないし、スターンは音楽そのものを映画におさめたかったわけではなかったのである。カメラはまた北部のリッチ層を、モダンジャズで踊る聴衆、音楽を聴いていたり聴いていなかったりする聴衆をもまなざす。そこには、音楽を楽しんでいるというより、避暑を楽しんでいる人々が写される。音楽を楽しむことはあくまでも避暑を楽しむということの一部なのである。 一般にジャズの教科書では、スイングジャズからモダンジャズへの移行期に、ジャズはダンス音楽から観賞音楽へと変容したとされている。これは、端的に言いかえるならば、ダンス的要素の抑圧である。この映画はしかし、そうした抑圧とは全く関係ない聴衆が、モダンジャズ全盛期において堂々とまかり通っていたという様子を提示しているのであり、この点において「ジャズで踊る」といった90年代的スノッブの先取りを地で行く映像であり、映画的にいいのか悪いのかといったことはともかくとして(はっきりいって中味をほとんど忘れてしまっている)風俗的観点から興味深い映画である。 さて、話をジャズに戻すと、現状はといえばもはやこうしたダンス的要素の抑圧からはジャズは一切開放されたとみていいだろう。ウィントンマルサリスはニューオリンズに回帰し(ウィントンのバンドはコンサートホールでの演奏だろうけど)、マーカスミラーがダンス的要素を顕揚する発言を行っている。アメリカのジャズ雑誌JazzTimesでQ‐tipのアルバムがクローズアップされてる(記事は読んでないけど)現在、おしなべてジャズにおいて進行していることは、モダンジャズを顕揚していた言説が抑圧してきたものを解放する運動であり(反動的な動きも含んでいるものの)、これはさしあたって誠に良いことであると思う。 但し、である。モダンジャズ的言説の抑圧からの開放は、一方において注意深く見守る必要があるとも思いだしている。モダンジャズ的言説は抑圧装置としてジャズにおいて強く作用していたことは確かだが、この抑圧装置の作動が止まってしまっているいま、それではジャズに新たな多様性の目が現われてきているのだろうか。ことによると大衆音楽全般について言えると思われる「ダンス」か「癒し」かというある意味で貧困な目的論的二元論的文化論的な音楽の捉え方の方向に寄り添って行くのみならば、抑圧の解放が果たされたとしてもさしたる期待はできないのではないかと思うからである。実は、モダンという抑圧装置が今とは比べ物にならないくらい音をたてて作動していたよう思われる60年代のが、つまり、ダンスを忘れたを忘れたモダンジャズ的言説支配の時代のが、圧倒的に生産的であったということは多分厳然とした事実なのだということに、人はまずは自覚的であるべきなのかもしれない。
秋ですな。CDウォークマン不具合で、悔しいがIPodが欲しくなってきてしまった椎名です。このマーケットに商品間の競合って成立しているのでしょうか?IPodの一人勝ちっすよね。でも俺、パソコンはマックだしでItunes使ってるし、やはりIPodということになるんだよね、使い勝手からいっても。 日ハム優勝御目出度う。ついでに日本の加工肉のレヴェルも向上して頂ければ幸いです。 ライブ告知す。 2006/10/28 【SoulGardenVOL.10】 10月28日(土) 青山JANOJA http://www.janoja.net/ Charge:ADV 1000円 / DOOR 1200円 (D別) RIO R&Bにおける一人ウィーン少年合唱団とも言われ、また歌う一向一揆From Brooklyn! 武蔵野Guys&Dolls →俺がはじめてライヴをするスタンダードJazzのバンドです。 全曲スタンダードでお送りします! Emma(Vo)、鐵切 伝九郎(@武蔵野ファンク…Ts、司会)、永田雅代(Org)、ボボメキシコ(@武蔵野ファンク…Dr)、ボス(@武蔵野ファンク…Bs) HardWorkin`BluesBand →本格的なブルースからJazzテイストまで! 私はこれに参加しています。メンツは本Blogの左方あたり参照。 メンツはちょいわるオヤジ(苦笑)系が約8割。 ハイライトを飲む前途有望な青年が約2割。なかんじ。
なんか更新全然してないなあ。今は無き伝説のメルマガ(?)「電化ジャズ通信」に3年以上前に書いた文章なんだけど、とりあえずコピぺで場つなぎ(?) 「ロック」とジャズとギター エレキギターというのはまずは「量」的な楽器であると私は思う。ポピュラーという量的概念を支えるもっとも量的な楽器。まずはエレキギタリスト人口の多さ−そうそう、日本の有名な音楽エンジニアリング向け雑誌の読者で一番多いのはエンジニアではなくてギタリストなんだそうである−。もちろん音量の問題もそうだ。そしてマス・オーディエンス。特にギターという楽器を巡って量的な欲望が立ち上がったこと、そしてその欲望が見事なまでに実体化した(マス音楽及び音量)ということは、多分20世紀の音楽にとってすごく決定的なことだったと思う。エレキギターを巡る量的なパワーは、20世紀の半ば過ぎから炸裂し、巨大でグローバルな音楽産業をも確立させた。量としての音楽、エレキギターとは、そうした現代の音楽の一面を理解する契機だともいえる。そしてそれを私はここでは「ロック」という言葉で呼んでみたい。つまり、音楽のひとつのジャンルというよりは、20世紀に量的拡大を被った音楽及び音楽を巡る現象全般としての「ロック」。 もちろん、電化という意味では、ジャズは現象としての「ロック」に先立っている。ビーバップ初期から、つまりはチャーリー・クリスチャンの時代から、ギターは電気的にアンプリファイ(音量的増大)されているわけで、まさに電化ジャズという意味でもこの楽器は優等生的なものなのである。しかしその後、「ロック」における飛躍的な量的炸裂を横目でみながら、ジャズギターは量の生産とは一線を画してきたといえるだろう。例えばジャズギタリストに使用されてきた楽器はほとんどの場合が、ボディが空洞になっているタイプであり、こうしたタイプのギターだと、ある程度大きな音をだすと、ボディの空洞が共鳴してハウリングを起してしまうことになる。つまり十全なる量的パワーの炸裂を実践するには不十分な構造をもったギターが、結局のところジャズでは用いられ続けたということだ。この量的な観点からは不十分な楽器(フル・アコースティック・エレクトリックギター、ないしはセミ・アコースティック・エレクトリックギター)を、多くのジャズギター系のギタリストは愛用するのである。 もっともだからといってジャズギターは量ではなく質の世界である、などと言うつもりは毛頭無い。量と質は対立的な概念ではなく、量は質的でありうるし、質は量的でありうるからだ。多分いえるのは、例えば、倍音成分の強力な増大によって3度の音程すら不明瞭なものにまで持っていき(つまり強力なディストーションサウンド)パワーコード(完全5度の世界)の分厚い世界を構築するロック的指向性(あるいは嗜好性)−それはロックの音響としての本"質"だと思う−とは異なり、ジャズギターにはそうした指向性(あるいは嗜好性)がない、ということである。ある意味では当たり前のことだが、ジャズの和声的特徴/伝統は、ジャズギターの量的拡大を妨げている一つの大きな要素なのだ。そしてもしその特徴/伝統を棄てるならば、ジャズギターは、ロックギターと本質的に違いのないものになっていくであろう。また一方で、ジャズギターの70年代における一つの変容、つまり量的拡大とジャズ的和声との融合・調和こそが、クロスオーバー/フュージョンギターの特徴なのだということもできるであろう。 8年くらい前だったか、ビル・フリーゼルのバンドにジム・ホールがゲスト参加したセッションを聴いたことがある。特殊なファイバーで作られたギターを用いるビル・フリーゼルは、例によってモジュレーション・ディストーション・ディレイ・リバーブ等を組み合わせ、そして音量をボリュームペダルでコントロールしたり、トレモロアーム(だと思うのだが)で弦のピッチをコントロールしたりと彼独特の世界を作る。一方ジムホールは、ノーエフェクトで、フル・アコースティック・エレクトリックギターからアンプへの直結という彼らしい伝統的なセッティングだった。基本的には昔通りのジム・ホールと、テクノロジー駆使のビル・フリーゼル。しかし彼らは量的なもので「勝負」しようとはしない。これは多分ジャズギターの伝統だ。可能性も限界もあるジャズギターの特性なんだと思う。量的な土俵では絶対「ロック」に負けるからね。
9/30日、土曜日に、 青山(外苑前)のカジュアルなイタリアンレストランJANOJAにて、「いつ何時誰の挑戦でも受ける!ソウルなイベント」(by 伝九郎)であるところの、 SoulGardenVOL.9 を開催します。 Soul Gardenというのはイベントの名前なんですが、演奏場所は全然ガーデンじゃなくて、B1のレストラン内なんですが、やる音楽は、北米のブラックミュージックないしはそれに影響をうけている音楽が主体なので、ソウルといって嘘はないです。Vol.9というのは9回目ということで、決してボリューム全開一歩手前とかそういう意味ではありませぬ、ってそんなこた、言われなくたってわかってますわな。 さて、出演バンドは以下の通り: トビウオ みともたかこ(Vo)、じゅん(Key)、田中啓介(b) 永田真毅(d) http://members.at.infoseek.co.jp/tanake27/mtop.html トップバッターは、私も何回かお手伝いさせていただいたことがある、迫力と繊細さを兼ね備えた素晴しいフィメール・ボーカリスト、みともたかこさんのバンド。多分日本語のオリジナルの演奏だと期待しています。彼女の書く曲には、私は70年代の「和製ポップス」的な良さを感じます。しかしもちろん単なる焼き直しなんかじゃなくて、サウンドはモダンなR&Bっぽい感じだったりとか、新しいサムシングがあるはずなので、楽しみです。 武蔵野ファンク 鐵切 伝九郎(Ts、司会)、パルメザン(trb)、キリマンジャロ(Gt)、 コサックマサ改めチョイナチョイナ石川書記長(key)、ボボメキシコ(Dr)、ボス(Bs) http://webstyle.jpn.org/m-funk/ http://mixi.jp/view_community.pl?id=249164 続いて、本イベント主宰者のツーブラトン、伝九郎氏とボス氏の参加する「団体」(伝九郎氏はバンドのことを「団体」って言うんですよ)、武蔵野ファンクです。この夏、多分20本くらいライブやったんじゃないでしょうかこのバンド。噂に聴くところでは、レコーディングもぼちぼち始まっているだの始まっていないだのらしいので、「団体」として円熟した演奏が聴けるはずです。このバンドは、基本的に熱いです。楽しみです。 椎名達人セッション: Takeo sings JAZZ 関口丈夫(Takeo or Keos)(Vo)、椎名達人(b)、森孝人(G)、小森耕造 (D) 三番目は、私のセッションバンドです。ノーダウトでインクレディブルなメールボーカリスト、関口丈夫、Takeo、あるいはKeos(一体どれが正式のステージネイムなんでしょう、本番前までにはちゃんと聞いとかないと。。)氏に、ジャズを歌ってほしいなあと思って誘ったら、快諾して下さいました。音小さめ、テンポゆっくり目、声太めな感じで、ジャズのスタンダードを中心に演奏します。ゆるい感じのセッションなんで、どんな演奏になるか全然まだわかんないです。アレンジ(といってもラフなヘッドアレンジですが)これから考えます。てなわけで、これ、自分でもすごく楽しみ。 というわけで、いつも通りの3バンドで、いつも通りピースなイベントです。是非聴きにきてください!! 青山JANOJA 東京都港区南青山2-22-2 クインビルB1 03-3475-6099 http://www.janoja.net/ Charge:ADV 1000円 / DOOR 1200円 (D別) OPEN:18:30/START:19:00 JANOJAは美味しいアンチパストやプリモピアット(パスタ類)、そして美味しいワインが手頃な値段で楽しめる、カジュアルなイタリアン。音楽といっしょに食事も楽しんでね〜。
いうまでもないことだが、北朝鮮への経済制裁は、あれは対外政策というよりは、むしろ国内政策であるということ。 「美しい日本」なるものを正当化させるためには、「汚い外国」が必要なのである。 そうそう、例えば、中国の汚染。 これは、ナショナリズムの問題。 ソフトロック、スローフード、ビューティフルジャパン・・等々、一連の口当たりのよい形容詞による修飾。これらは原則として、ハード、ファスト、ダーティといった、否定的価値をもつことにより成立するイデオロギ−的構築物としてとらえておく必要がある。そしてそれは、ある現実を隠蔽する。 新しい首相(になる人)の考える日本の「美しさ」がどういうものだかはよく知らないが、この人は、前の首相以上にナショナリストであり、、また、ナショナリズムを戦略的に利用しようとしているようだ。 ナショナリズムは、内部にある対立関係(矛盾)を、内部と外部との対立関係に置換することにより内部の矛盾を無きもののようにしてしまう、きわめて有効なイデオロギーである。 例えば、レッズとアントラーズのサポータでも、日本代表なら一緒に応援するように。
昨日は、渋谷(時に池袋)に形成されていた一つのシーンを支えていた音楽家、Soshi(Sammy)のさよならジャムをみてきました。Soshiくんは、Warwickの5弦ベースでボトムがぶっとくて、安定感の中にスリル、ファンクのなかにロックを奇跡的に共存させるベーシストで、渋谷のジャズ系ジャムバンドシーンのVIPの一人だったと思われ、彼の渡米がシーンに与える損失は口では言い表せないくらい大きいように思われもして残念なのですが、これからのNYでの活躍が楽しみです。 さて、自分のライブ告知。 ハンコックのファンク好きによるハンコックのファンクを演奏するバンド。 2006年9月17日(日) @立川Crazy Jam http://www.crazyjam.com/ 6:00open 6:30start charge1,500円 西多摩ハンターズ Dai Kasuga (key) Tatsuto Shiina (b) Atsushi Hotta (g) Koji Yagihashi (g) Yoshikazu Watanabe (ds) Shimpei Ijichi (ss, ts) with G.Y.A.O 儀保努(b) 宮路幸則(g) 青木孝之(ds) 小田朋典(key.) 西多摩ハンターズは2番目で7時半くらいからだと思われます。
ローリング・ストーンズの「 LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」という 1983年のライブ映画をテレビでやっていて観た。 そしたら、ベースのビルワイマンが、miss youというディスコ調のヒット曲で、どうやらベースを弾いてない感じ。音の動きと左手の動きが全然違うじゃないですか。誰かが裏で弾いていると思われるのです。音も妙にクリアだったし。。 多分、他の曲は彼がちゃんと弾いていると思われるのですが、miss youより前の曲はあまりビルワイマンのことを注目していなかったので、もしかしたら他でも弾いてない曲があるかもしれませぬ。まあ、私の見間違いかもですけど。 ビルワイマンは後にストーンズを退団する(後釜はダリル・ジョーンズ)のですが、このライブでもなんだかあんましやる気がなさそうな弾き方をしていて、ちょいと変わった人のようですな。Walのベース(だと思う)を弾いていた。このライブ映画でもっとも印象に残る人物 for meでした。
80年代マイルス論の次は、2002年10月頃に書いた70年代マイルス論を載せてみます(わずかに修正ほどこしてあります)。 興味のある方は読んで頂ければ幸いです。 浮遊する裸の帝王を捕まえろ! 〜70年代マイルス論 1 マイルスはいつ帝王であるか。 人は、王を自ら名乗ることはできない。王になるということは、他者による承認に基づいてのものである以外は茶番である。 人が王であること、それはあくまでも人が彼/彼女をそう認める限りにおいてである。より一般的にいえば、権威や制度とは、他者の承認、コンセンサスのネットワークによって構成される観念的かつ物質的な構築物である。そしてそうした承認による権威や制度は、同時に、沈黙の強制というこのネットワークに不可避の安全装置と一体化してより堅固なものとなる。従って「王様は裸だ!」という声は、このネットワークに包摂されない子供によって叫ばれるのだ、そのとき、人は罪の意識とともに、自らがその中で果たしている承認と隠蔽の儀式をうっすらと認識することになる。 多分、Prestigeレーベルに吹き込まれた一連のティピカルなハードバップ連作及びColumbiaレーベルに映ってからのモードジャズの推進、そしてそれに絡む複数のジャズジャイアントたちの親玉(リーダー)としての地位、この辺の履歴により、マイルスはカエサルとしての資格を得た。さらに、60年代以降に起用した新たな若手ジャズメン達が、これまた新世代の、そして現役のジャズジャイアントになっている今、マイルスは死後の現在に至るまで帝王の地位をほしいままにしているといっても過言ではないだろう。彼のバンドリーダーとしての様々な逸話は、そうした帝王の地位をますます確固たるものとする傍証となるであろうし、チャーリー・パーカーに起用されたへたくそなトランペット奏者としてのマイルス、でさえも、この帝王物語に、序章として美しく回収されるイメージなのだ。 しかしそれでも、誰かが常に王を裸にし続ける必要がある。必要?、その必要に合理的な根拠はなくそれは単に倫理的なものだ。倫理的な(無意識の)主体としての子供であること、これは全ての批評にとって必要な態度かもしれないが、特に、王と呼ばれる人に対する場合はそうだと思う。但し、それは実は王を裸にすることではなく、むしろ王を王にし続けている側を裸にすることであるという意味において。 2 70年代マイルスです。 これ、ここんところ評価されてるわけです。多分それにはそれなりのバックグラウンドがあるでしょう。 まずは、やはり多くの人に70年代的なポピュラー音楽のよさが見直されるようになったということ。特に、70年代が80年代と対立関係におかれて、前者がよりかっこいいものであるとみなされるようになったってこと。90年代のあたまくらいから一般化することですが、生産されるポピュラー音楽に70年代的な意匠を感じさせるものが多くなり、それがその楽曲の肝になっていたりする場合も多い。人の耳が70年代的なものをよしとする傾向が90年代から今に至るまで続いている。 また、CDによる過去のレコードの再発が一般化されたこと、聞ける音源が増えていること、これは音楽好きにとってはたまらないことですね。ほんといろんなタイプのレコードをCDで手に入れることができるようになった。それから、外資系の大きなレコード店の存在も大きい。そこではただでたくさんの音楽が試聴できるし、品揃え的にもすごいものがある。そうした商品流通販売の形態の変化で育ってきたのが、いろんな音楽に通じていて、いろんなサウンドを見分けられて、間口を広くもてるタイプのリスナーなんじゃないかな、と思われます。 もひとつ忘れることができないのは、DJブームですね。レアなものも含めて種々の音源から目的に合わせた選曲を行うこと、これはDJにとって大事な能力の一つだと思うのですが、こうした能力が、DJブームのおかげで一般のリスナーにもどんどん浸透してきたのではないかと思います。様々な音楽を聴き、その音楽をどういう「系」のものかざくっと判断し、自分なりのデータベースに取り入れる(あるいは取り入れない)という聴き方をする力を持つリスナーの数が増えてきたのだと。まあある種のプロフェッショナルな聴き方というか、ジャンル的に細分化してカテゴライズする聴力をもつ人が増えてきたとでもいいましょうか。それこそ80年代と70年代の音を大づかみに聞き分けたり、ソフトロック、フリーソウル、モンド、また癒し系ってのとか、既存のジャンルというよりはより広義でコンセプチュアルな分類の仕方で捉えたり、どんどんたこつぼ的にジャンルが細分化していったクラブ音楽(ダンス音楽)にしっかりついていけるリスナー、クラバーも存在します(もちろん、たこつぼ死守して一歩も外に出ない人もいるだろうけど・・)。 昨今の70年代マイルス評価については、こうした新しいポピュラー音楽の聴き方を実践できる聴き手がたくさん育っている空間を前提とする必要があると思われます。 3 昔は、70年代のマイルスってのは、よく分からない音楽だったんです。ホントに(で、後でも触れるけどひと「ロックの導入」とくくられるのが一般的だったのです。ジャズにロックを導入した、ってまとめると、とりあえずは、なんとなくおさまり良いわけです。)だけど、今の耳で聴くと、それは別に分からない音楽でもなんでもない。確かになんだかぶっきらぼうで、ごわごわしていて、がーがーしていて、まとまり無い部分、かったるい部分等含みこんでたりするのがマイルスの70年代ですが、例えば昔のジャズ好きのおやじが、「こんなのわかんねー、ジャズじゃねー」なんて怖い顔するみたいには、分からなくはないのです、今の人には。 その大きな理由として、上述のようなポピュラー音楽の聴き方をする層が増えてきたってことがあると思うのです。例えばそういう人たちは、マイルスの音楽を、例えば極端なはなし、キャロルキングのアルバムと等価なものとして捉えてそれを種別するという聴き方を会得しているということができると思います(例えば、彼女と聴きたいアルバムとして、キャロルキングの「つづれ折り」とマイルスの「アガルタ」をなんの齟齬もなく一緒に採りあげて語り得るリテラシー(あるいはカルチャー)を有している人たちがいるのだということです)。 しかし、昔の人はそういう聴き方はしなかった。マイルスには40年代からのジャズアーティストとしてのキャリアがあり、過去に彼が演奏した音楽との対比において70年代マイルスが聴かれていた(聴くべきものとされた)。あるいはまた、当時はジャズが一つの自律したジャンルであると捉えられていた傾向が強く(従って、他の音楽との相互関係というよりも、ジャズというジャンルの中での自律したジャズ史みたいなものがたくさん語られる傾向があった[もちろんジャズはジャンルとして自律していないというわけではないですけどね])、その代表的存在であるマイルスがロックを導入するということが、ジャズリスナーにとってはスキャンダルだったといってもいいでしょう。したがって少々誇張していうと、例えばマイルスの電化の意図は一体何なのか?、これはジャズなのか?、といったたぐいの問いが、70年代マイルスの聴き手にとって必須の問題群を構成していたりしたわけなのです。ある人は一生懸命聴いて、そこに自分なりにジャズ的なものを聞き取ることによってかろうじて安心したり、そういうことが不可能であったリスナーは「ジャズは死んだ」とか勝手に宣言して、まあそれはそれなりにまた安心したりするわけです。そんな聴き方してたら、マイルスの音楽は面白いわけがないのですが、まあそういう人が実は、ホントにたくさんいたんです(私はまあ中途半端な世代の人間なので、そういう人がいたということをよく知ってるんですが)。 もちろん、昔だって決してマイルスがジャズの文脈の中で生真面目に聴かれていたばっかりではないとは思います。例えば、村上龍の「シックスティ・ナイン」という小説では、たしかデパガか銀行員のOLだかが、ジャズ喫茶でカーラ・ブレイをリクエストするっていう1969年の風景が描かれている。彼女はどういう聴き方をしていたかは分かりません。しかし、もしかしたらこの女性はジャズの歴史やら芸術性にはさほど通じておらず、ただそういう音楽をジャズ喫茶でリクエストすることが「オシャレ」で「カッコいい」からそうしていただけかもしれないわけです。そこにあるのは、リクエストするならば、サラ・ボーンではダメでカーラ・ブレイ、ソニー・ロリンズではだめでエリック・ドルフィ、ケニー・ドーハムではダメでドン・チェリーなという価値観なわけですね。彼女にとっては、女性であって前衛的で先端的で知的でエキセントリックなジャズ・アーティストであるカーラ・ブレイをリクエストすることに意味があったのだと思われます。 つまり、当時の全ての人が上に書いたような「ジャズとはなんぞや?」みたいな意識を持っていたわけではなく、「いけてる」ものとそうでないものがあったと言うことですね。 しかしそれにしても、やはり、彼女は当時のジャズ的な美意識にとらわれている。彼女の価値観は、「ジャズとはなんぞや?」的な発想と関連している、前衛的でかつ政治的な文化を良しとするような価値観を前提としているわけです。それは、今の状況、全ての音楽をさしあたりは横並びに等価に置きうるという聴き手の聴き方とは異なるわけです。 4 さて、こうした新旧二つの聴き方を、いささか強引に図式的に区別してみると、通時的な聴き方と共時的な聴き方の違いというようなことが言えるかもしれません。今の聴き方にとっては、モダンジャズの発展もへったくれも関係ない。テディ・ウィルソン・トリオの演奏とマイルスの70年代は、通時的発展を前提とするモダンジャズ的価値で図られたりはせず、聴き手の現在の興味において、共時的で交換可能な関係の中で選び取られ、聴かれることになるわけです。もちろんそれはジャズというジャンル内のみならず、複数のジャンルにまたがり、基本的に全ての音源にそれは当てはまる。従って、モーツァルトとモー娘も交換可能であり、グレン・グールドとグレン・ミラーも交換可能、つまり等価な関係に並べ得るということです。 ただ、忘れてはならないのは、今の聴き方が、完全に価値フリーで、価値相対主義で、既存の価値観を全てご破算にしてるわけではないということ(そういう価値フリーな聴き方を完全に達成するということはあり得ないでしょうし、それを望むことも決して好ましいことだとは言えないと思うのですが)、さらには、実は、今の人だって、なんらかの価値観を通して音楽を聴いているにすぎないということです。で、その価値観とは、「70年代」的なものは良しとする価値観であったり、「ソフトロック」的な手触りがよいといった価値観であったり、パワフル一発じゃない付加価値のついた「フリーソウル」な雰囲気をよしとするものであったり、もちろん中には、レアで市場価値が高いアナログレコードをよしとするような価値観もあるだろうし、ふわーっと「癒される」ような価値観をよしとするものであるかもしれないし、「ストリート」的な感じがするものをよしとするものであったり、まあ何でも良いのですが。ともかくそうしたかなり印象的雰囲気重視的な枠組みで音楽をピックアップしていく点が、昔と違うと思うのですが、よく観察してみれば、何らかの価値観(観念)がそうした聴き方からあぶり出されてくると思います。 5 ところで、70年代マイルスがジャズリスナーにとってはスキャンダルだったといいましたが、ではロックのリスナー(主として米国における白人のポピュラー音楽愛好者)にとってはどうだったのでしょうか。それについて詳しい資料を持ってるわけではないのですが、マイルスの音楽が高く評価されたかというと、さほどでもないと思うのです。ちなみに、マイルスは70年代に、サンタナの前座をやっていました。ジャズサイドから見れば、ジャズの帝王マイルスが前座をやっているってこと自体がまあスキャンダルでもありますわな。サンタナはいうまでもなくスーパーロックギタリストでありますが、ジャズを愛好しており、マイルスのBitches Brewコンプリート盤の序言を書いてるくらいの人なわけですが、まあ、当時のロック界(特にビジネス、興行的世界)では、マイルスはそういう扱いなわけです。 じゃあ、ソウルミュージックのリスナー(主として米国における黒人のポピュラーレコード購買層)からはどういう評価を受けていたのでしょうか?これについても詳しい資料をもっていないのですが、やはり高く評価されていたかというと必ずしもそうではないのではないか。もちろん「黒人」音楽家としてのリスペクトを受けていたでしょうけど。たとえば、スライ&ザ・ファミリ―ストーンとかのファンクを意識して作成されたOn the Cornerというアルバム が黒人コミュニティでもてはやされたなどという話を聴いたことないですよね(ちなみに、このレコードはむしろ、一部のマニアックな連中の崇拝の対象となり、後のクラブミュージックの原型の一つを構成したなどとも言われているようです)。 マイルスの70年代の音楽は、ジャズとソウルとロックが一体となっており、それぞれの要素が垣間見られる音楽となっています。しかし、多分それらどのジャンルの音楽を軸とすることによっても、マイルスの70年代の音をうまく言い当てることはできません。当時のジャズリスナーがマイルスの音楽を「ロックの導入」的なニュアンスで捉えた(誤認した、ないしは単純化した)ことにも象徴的に現れていることなのですが、しかしそれが単に「ロックの導入」なのであれば、一体ブラジル人であるアイアートモレイラのプレイは、モータウンのベーシストであるマイケルヘンダーソンのプレイは、英国のジャズベーシストであるデーブホランドのエレキベースは、ソウルジャズの名曲「mercy mercy mercy」を残したジョーザビヌルのエレピは、それらもロックの導入だったのでしょうか、シタール奏者は、テープの編集は・・・それらも単純にロックの導入としてくくってしまうことは出来ないでしょう。確かにマイルスの70年代の音楽はロックのように大音響で演奏され、電気楽器が導入され、ロック的な、ロックコンサート的なものであった。でもそれを単に「ロックの導入」といってすましてしまうことは絶対にできないし、それはまちがいであり、誤解の元であると思ってます。 例えば、マイルスの電化は1968年の「miles in the sky」あたりから始まっており、この音源を聴けば、少なくともこのレコードにおいてマイルスは、ロックというよりはソウルジャズ的なものを取り入れようとしているといえるでしょう。それが電気ギターのジョージ・ベンソンの加入であり、ロン・カーターのフェンダーベースであり、ハービー・ハンコックのエレピなわけですね。もちろん、マイルスが単に当時黒人に受け入れられていたソウルジャズの焼き直しを作るわけがないのですが、でも、ロックではなくソウルジャズを横目に睨んだ音であることは、そんなことは音を聞けば誰にでも分かることである。ロック的な要素はまあ、きわめて希薄です。しかし、マイルスの電化以降をジャズにおける「ロックの導入」みたいに語るという語り口がなぜか許されてしまっているのです。これには断固として抗議しておかなくてはならないのですが・・・・。 まあそれはともかくとして、ともかく、マイルスの70年代の音には(まあ電化以降でもいいですが)ジャズとソウルとロックの要素の一体化が感じられる。しかし、それらのどのジャンルにも所属させることができない、そのどれとも似ていない、なにか過剰な部分がつきまとっていると、私は思います。ジャンルという制度から逃げる要素というか、そういうものがマイルスにはある。だから当時は評価されずらい音楽だったのだとも思うのです。従って、マイルス70年代の音楽を、新しいジャンル、「クロスオーバー」と呼ばれはじめ、後に「フュージョン」と呼び直されるようになるジャンルの嚆矢として位置づけるのはさしあたり正しいように思われもします。しかし、後に大量にこのジャンルのレコードが生産され、確立したジャンルとして定着する頃になると、今度はマイルスの70年代がこのジャンルからどうも乖離して聞こえてしまうというような、不思議な逆転現象も発生することになる。そして、そうした部分が今度は今になって、現代のクラブ音楽っぽかったりする、なんて喧伝されたりもするのですね。 70年代のマイルスはどうも浮遊するのです。 6 マイルスは、70年頃に何枚かのシングルレコード(ドーナツ盤)を出しているようです。マイルスは売れるとでも思っていたのでしょうか、あるいはCBSとの契約の履行上出したみたいなことだったのでしょうか、詳しくは存じません。まあ出す以上は黒人ソウル愛好者層ないしはロックファンを狙ったのかもよくはわかりませんが、しかしシングルは、やはり70年代のいろんなシングル盤チャートをにぎわしていた白人向け黒人向け音楽のどれにも似ていない。 また前述のOn the corner、マイルスはこのアルバムをジャズとしてリリースされるのを嫌ったとかいうような話を聞いたことがあります。ジャケットに黒人の若者が描かれており、スライ&ザ・ファミリ―ストーンなんかをヒップだと感じている一般の黒人若者層をねらったものだと考えられるわけですが、しかし、その音楽にしても、中身を聴いてみれば、ソウルにしろファンクにしろそういう当時の流行りものの一般的な音とは似ていないわけです。 幸か不幸か、必ず売れ線のメインストリームなものから、ジャンルの中心的なものからずれてしまうマイルスの音楽。 しかし、今それが評価されている。 それは、結局のところ、今の耳に、今のリスナーの価値観と齟齬を来さない範囲で、マイルス70年代が評価されているってことなんだと思います。つまりは次のようなことが70年代マイルスの評価について典型的なものだったりするのではないかと。すなわち、70年代のマイルス聴いてみたらなんかめちゃくちゃ今っぽい音があるじゃん全然古くねーじゃんとか、70年代のマイルスの音は評価できるけど80年マイルスはどうも納得いかんなあ、とかみたいなものです。くりかえしますが、私はまあ中途半端な世代の人間なので、そういう人がい今いるということを知っているのです。 そうなると、私のようなマイルス信者はちょっと不安になるのです。つまり、もし今の流行が廃れたら、またマイルス70年代は特段評価を受けない音に、いやむしろ格好悪い音として聴かれさえしまうのではないか、ということなのです。80年代だって70年代だって、マイルスはまあマイルスなのですが、しかし、そうした時代区分によってなんだか良かったり悪かったりされてしまう以上、マイルスの70年代の音楽を通して現在聴かれているのは、実はそこにある70年代性、あるいはより正確に言えば、今の流行の観点から遡及的に評価できるようなサウンドのみである、という最悪の事態さえもあり得るからです。人はマイルスの音楽からそのような何かを消費することができる、でもそれはある意味ではべつの音楽からだって良いわけです。それこそ、もしかしたらキャロルキングからであれ何からであれ。もちろこれは極端な話ですが、まあそういうことです。 結局のところは、他にかけがいの無い何か、代替不可能な何かを持っているから、70年代マイルスが評価されているのか、あるいはそうではなくて、70年代的なものに共通の雰囲気をマイルスの音楽も持っていて、その一つのバリエイションとしての位置づけで評価されているのか、っていうような話になっていってしまうのです。 7 実は、本来私がこの原稿で意図していたことは、今、たいへんかっこよくてわかりやすいマイルスの70年代を再び難しいものとして提示すること、しかしそれは過去のジャズリスナーにとってそうであったようなものとしてではなく、マイルスにみられる代替不可能な何か、浮遊する何かを中心に、マイルスの迷宮をより入り組んだものとして措定しつつそれを言語化して提示してやろうというようなことでした。いささか屈折したマイルス信者の役割を、頑張って果たせないだろうか、と漠然と考えていたのですが、どうやら、そこまで突っ込んだ話に至ることなく、今回は筆を置こうと思っております。 というのも、まず今のところ、70年マイルスは高い評価を得ているのであるから、私ごときが四の五の口をはさむ必要もさしあたりはないということがあります。マイルス70年代は、以前より多くのリスナーによって、一定の「理解」の下で聴かれており、のみならず、上で述べたような新旧ふたつの典型的な聴かれ方ではない、様々な聴かれ方が為されているに違いないからでもあります。私は新しい聴き方を大いに支持するのですが、一時の流行にのっとるような感じでのみ新しい聴き方をするのは、あんまり中身、というか生産性がないんじゃないのかな、という立場でもあります。もちろんまずは流行「いま、マイルス70年代が熱い!」でも何でもいいですが、その手のキャッチフレーズに乗ってみても結構ですが、それでマイルスを終わりにする(消費しちゃう)には、マイルスはあまりにももったいない対象である、ということなのです。 優れたテキストがそうであるように、マイルスの音楽も多様な読みが可能でしょう。そのためには、マイルスを単に帝王の座に置いておかないこと、マイルスを裸にすることが必要であると思います(今の聴き手はそれを行いやすい)。そして、裸にしたって、マイルスはちっとも輝きを失わず、むしろ、より新しい輝きを増すはずです。今必要であるのは、ある意味では今受け入れられているマイルスを疑うことではないかと思い、今回のちっとも70年代マイルス論まで至らなかった70年代マイルスに関するお話を書いた次第。次回は80年代マイルス論なので、70年代マイルス論の本論はいつになるやら・・・。
稲本がガラタサライに入るらしい。 それで思い出したのだが、ドイツ滞在中に、トルコ人の青年と知り合いになった。彼は、ドイツの下位リーグのあるチームに所属するサイドの選手で、ジーコが監督をはじめたフェネルバフチェのファンだった。その彼が、ワールドカップドイツ大会で初得点を挙げた日本代表のフォワードの鈴木選手のことを「利き足が左のフォワード」という言い方で呼んでいたことが印象に残っている。ちなみにそのトルコの青年自身は右利きで、どうやら左利きのがアドバンテージがあるのだというようなことを言っていた。サッカーを実際にやっているやつのものの見方、まず利き足で選手をみるという関心の持ち方、それは、実践のための正しい知識を得るためのものの見方だと思われる。 自分はミュージシャンを見るとき聴くときに、「実践のための正しい知識を得るためのものの見方」をしているだろうか。実践のための正しい知識の体系を構築し得ているだろうか。 実は、人のプレイを見るとき、聴くときの自分の心の持ち方が、最近ちょっと変わってきたように感じている。多分、多少なりとも人に楽器を教えたりしていることが影響しているように思う。 でも、演奏しているときの心の持ち方は特に変わってないのはなぜか(苦笑)。
NYで活躍している後輩のピアニストから書き込みがあって、嬉しいす。 http://www.mamikokitaura.com/live/ヘンリー・マンシーニのレパ−トリーを演奏するオーケストラで全米ツアーしてたりしているmamikoさん。サイトではwaltz for dave等が聴けて美しいです。 さて、ライブ告知いたします。 ●8/25(金)@西荻窪clopclop http://www.clopclop.jp/
椎名達人(ba) 森孝人(g) 天倉正敬(dr) 伊原広志(g ) open@7:00/start@8:00 ¥2000+オーダー 前半はトリオでモニャモニャと、 後半はカルテットでゴリゴリと、やります。 是非、聴きに来て下さい!!
台風のせいで、太平洋の湿った空気が日本列島に流れ込んできたんだそうな。 住んでいた人に聞いたのですが、ニューオリンズって、すごく湿気があるんだって。カリブ海の湿った空気が全部入ってくるのだろう。もしかして、昨日一昨日のような気候が夏の間ずっと続くのかな。それを考えると絶対に住みたくないなあ。。。 寝苦しい暑い夜には、ヴェンダースのパリテキサスのサントラ(ライクーダのギター)、ビルマの竪琴(のサントラじゃなくていわゆるエスニックミュージックの)なんかを聴く。効く。 明日(いやもう今日だわ、土曜日)は、いなたくダサめでイージーでちょとレゲエ入ったソウルジャズ的ギタートリオやります。効くといいんだけど。
日本の首相は、自らのイデオロギー的信念に即して、靖国陣社に参拝した。 これに対して、やれ、外交上云々とか、アジア諸国との関係上云々とか、国際法上云々とか、国益のため云々だとか、そういうレベルで参拝反対の議論を行うのは間違っているように思う。正しいリアクションは、単純に、小泉が心から適切に感じるイデオロギ−的信条そのものに対して、反対することではないか。靖国に参拝することは、信念として間違っており、すなわちそれは悪だ。但し、その悪を、「客観的」に、かつ「説得的」に語ること。
残暑という感じの暑さになってきました。もうお盆ですから当然ですね。海ではクラゲがゆらゆらと泳いでることと思われますが、皆様は如何御過ごしでしょうか? 今回のソウルガーデンは、私も自分のセッションで出演します。よかったら遊びに来て下さい。 ☆ SoulGardenVOL.8 ついに8回を迎えました毎回開催が奇跡のようですが、まだまだイベントは続きます。誰に頼まれなくても、いつ何時誰の挑戦でも受ける!ソウルなイベントです。 ☆ 椎名達人バンド このバンドなりのソウルジャズを演奏します。 椎名達人(B) http://www.shiinaband.com 森孝人(G) http://members.ld.infoseek.co.jp/mosman/ 永田真毅(D) http://sound.jp/kpm/☆ ちくわぶ 2005年3月結成。 さまざまなミュージシャンをゲストに迎えながら 高円寺、西荻、地元烏山などでライヴを展開中。 SoulGardenには初出場。主催者があるセッションで まるでビリーホリディの如き歌声を聴きとめました! つまりそこにビリーがいるよ、って感じです。 是非多くの人に聴いてもらいたい存在。 Emma(Vo) 野崎理人(G) 熊谷大輔(Per) ☆ 武蔵野ファンク いんちきJAZZからいかさまFunkまで、 困ったときにはスペシャルゲスト頼みの 「出会い系」Funk団体。 鐵切 伝九郎(Ts、司会) パルメザン(trb) キリマンジャロ(Gt) コサックマサ(key) ボボメキシコ(Dr) ボス(Bs) http://webstyle.jpn.org/m-funk/ http://mixi.jp/view_community.pl?id=249164 青山JANOJA http://www.janoja.net/ Charge:ADV 1000円 &オーダー DOOR 1200円 &オーダー OPEN:18:30 START:19:00 Information 青山JANOJA 東京都港区南青山2-22-2 クインビルB1 03-3475-6099 イタリア産の麺、トマト、オリーブ、 シチリア島の塩を 使った本格パスタは、 一人前づつすべてオーダーが入ってから 仕上げる丁寧さ。ソースもすべて手作り。 モッツァレラはその日の朝に仕入の新鮮さ です。勿論イタリアワインも充実、 中高級ワインがお手頃価格で常時20 種以上! 気取らないお店だから女性だけでも気楽に 食事もワインも楽しめちゃいます。 」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」 バザー大会 今回もやってしまいます。 いきなりバザー大会。 イタリア直輸入の食材から、あのワインまで驚きの価格でご奉仕します。但し早い者勝ち待ったなしです。 」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
土曜日は、もう7回を数えることになった、Soul Gardenというライブイベントだった。場所はいつも、青山のJanojaというカジュアルなイタリアンレストラン。毎回3っつのバンドが出演する。イベンターはファンクバンド「武蔵野ファンク」のデンクロウ氏とボス氏。私もPA等お手伝いスタッフさせてもらっている。 このイベントの良さは、ミュージシャンとオーディエンスとの間隔が近いこと。ライブハウスのようにライブを行うことを目的とした場所ではないので、機材的にも音響的にも照明的にもかなりの問題を抱えているのだが、しかし、毎回なんとなくいい雰囲気でライブが行われ、まあそこそこ、それなり、いや、かなり満足どころか、大満足が得られるライブが展開されることが案外多いのである。 昨日もまた、非常に盛り上がる内容だった。3バンド目のRio氏のステージがよかった。若々しいポジティブな歌い上げに好感!。バンドは、しんじゅ、がくし、しらね各氏の20代前半トリオ。タイトでありながらゆったりと音符をもった演奏で、素晴しいコンテンポラリーな北米R&Bサウンドだった。最後に、ゲストにTakeo氏( たぶんbest japanese male soul singer at the momentなのではないかと思われる。)、Orito氏(色気あるファルセットに陶然!)、シルキー藤野氏(張りのある強力ファルセットは圧巻!)を招いてのCan't Hide loveでは場内騒然となり、ふとみると、イベンターの前述デンクロウ氏なぞは、もう半泣き状態、いや大泣き状態で大声で声援を送っているではないか! 少々、手前味噌のほめ過ぎ御免&恐縮なのだが、そういう楽しい情況になる場合もあったりするイベントなので、よかったら遊びにきて下さい。毎月やってます。今月は事前告知出来なかったので、事後報告的宣伝させてもらいました。 それから中古のシーナバンドのCD買って、気に入って来てくれた(でも私の出番はその手の演奏じゃ無くて御免)MC君をはじめ、御来場下さった皆様有り難うございました。
告知です。よろしかったら。 ブルースとスタンダードナンバーをいなたくやります。 ●7/19(水) 新中野 Live Cafe 弁天 http://benten55.com/top.htm オープン/20:00〜 ライヴスタート/20:30〜/21:45〜の2ステージ チャージ/¥1500 井上 大地 G,Vo 鈴木 保 Harp,Vo 椎名 達人 Bass 小林 中 Kye 堀田 篤 G 山下 欽也 Drs スペシャルゲスト 新藤 敬之 G,Vo
ワールドカップが終わった。 ロナウジーニョのになると予想されていたこの大会は、完全にジダンのものとなった。 あの「ヘディング(頭突き)」ーいうまでもないことであるが、サッカーの規則に沿って、手などでは行われなかったのであるが―は、「マルセイユルーレット」と同じくらい美しいものだったと、あえて言ってしまおう。 快感原則(平衡状態)ーロナウジーニョの愛するサンバのグルーブ: カーニバルの狂躁は実は秩序の再生産と同義なのだーなどとは根本的に異なる、死の欲動をかいま見せること、それがジダンのサッカーの秘密だったのだ。
明日、っていうかもう今日ですが、外苑前のカジュアルイタリアン食堂で以下のイベントがあります。 私は出演しませんが、今回も素晴しいメンツがそろってます。 よろしかったらぜひどうぞ。 以下、ベタばり御免。 SoulGardenVOL.6 ついに6回を迎えましたファンキーすぎるディナーショウ、ソウル鉄砲水とも言われるSoulGardenです。 よくも続くものですね。 さて今回も泣く子も踊る!豪華な面々でお送りします。 是非ご来場下さい。 ☆maru live+ovall edition maru(VO) 菱山正太(key)伊原広志(g) 鈴木信悟(b)白根佳尚(ds) 今回はついにあのmaruが、待望の登場です。 今まで飛び入りで、あの人は何者?と言う問い合わせが殺到しておりましたが、自身の登場は初めてとなります。女だてらに「男の星座」なソウルシンガー!しかも素晴らしいメンバーとともに! http://mixi.jp/view_community.pl?id=477335 公式ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/marumusicvox/ ☆JariBu 日本でも珍しい、そして勿論SOULGARDENでは初のアフロビートの団体。しかもしかも今回がデビューライヴとなります。 ☆武蔵野ファンク 鐵切 伝九郎(Ts、司会)、パルメザン(trb)、キリマンジャロ(Gt/股関節脱臼の為休場)、コサックマサ(key)、ボボメキシコ(Dr)、ボス(Bs) http://webstyle.jpn.org/m-funk/ SoulGardenではすっかりお馴染みです。 出会い系ファンク団体。 しかもそれだけではありません! 今回SoulGarden-武蔵野ファンクのスペシャルゲストとして登場するのは、 ソウルシンガー ORITO (Profile/officialwebsiteより) 1995年、アル・グリーンを70年代の大スターへと仕立てた傑物、ウイリー・ミッチェルのプロデュース、メンフィスは「ローヤル・レコーディング・スタジオ」録音によるアルバム「SOUL JOINT」で逆輸入デビュー。このアルバムは日本に続いて、アメリカ、イギリスでも矢継ぎ早に発売され、メンフィスで行われたデビュー・ショウケイスの模様は日本人としては初めてメンフィスの「名誉市民」の栄を浴すというトピックもあって、CNNで全世界に配信される。日本でもテレビ朝日の「ニュース・ステーション」が特集枠を組み、この模様は「大型国際派シンガーのデビュー」と大々的に放映される。 http://www.jvcmusic.co.jp/orito/ 青山JANOJA http://www.janoja.net/ Charge:ADV 1000円 / DOOR 1200円 (D別) OPEN:18:30/START:19:00 Information 青山JANOJA 東京都港区南青山2-22-2 クインビルB1 03-3475-6099 イタリアワインも充実、中高級ワインが お手頃価格で常時20種以上!気取らないお店 だから女性だけでも気楽に食事もワインも 楽しめちゃいます. イタリア産の麺、トマト、オリーブ、 シチリア島の塩を 使った本格パスタは、 一人前づつすべてオーダーが入ってから 仕上げる丁寧さ。ソースもすべて手作り。 モッツァレラはその日の朝に仕入の新鮮さ です。勿論イタリアワインも充実、 中高級ワインがお手頃価格で常時20 種以上! 気取らないお店だから女性だけでも気楽に 食事もワインも楽しめちゃいます。 バザー大会 今回もやってしまいます。 いきなりバザー大会。 イタリア直輸入の食材から、あのワインまで驚きの価格でご奉仕します。但し早い者勝ち待ったなしです。 ところで、テンポが速い攻撃的なフランスのサッカー大好きなんだけど、全然点が入らないなあ(対トーゴ戦、前半終了時)。
U氏へベース教えている際に、マイルスが演奏したマイケルジャクソンのヒューマンネイチャーがいい、なんて話が出て、そういえば以下のような文章を書いたことがあったなあ、とここで再びさらします。プリンスとの関係なんて話もしたばかりだったので、あくまでも個人的にはですが、ちょっとこのへんタイムリーな話題だったりしてます。 ◆ 80年代以降のマイルス (0) はじめに 「酒をめちゃくちゃ飲み、コカインも一日じゅうやって、一晩中セックスしまくって、それで理想の音楽が作れるわけがなかった。」(『マイルス・デイビス自叙伝II』207頁、宝島社文庫。) 70年代後半から80年代前半にかけて、米国芸能界におけるコカインの蔓延はものすごいものがあったようである。多くのポピュラーアーティストがそうであったように、70年代後半のマイルスはコカインの蔓延の渦中でもがいていたということができるだろう。例えばジャコ・パストリアスは、マイルスが復帰するのと入れ替わるかのように、コカインと酒に溺れていく。この二人の違いは、ジャコがジャンキーになりながらも演奏を続けようとして野垂れ死んだのに対し、マイルスはジャンキーであった間は一切音楽をせず、(かなり)クリーンな状態になって復帰した点でであろうか。マイルスはドラックによって強化された死の欲望に取り憑かれるも、完全には悪魔に魂を渡しきらない音楽家のようだ。 もっともマイルスがドラックに身を崩したのはこれが最初だったわけではない。1949年から1953年にかけて、マイルスはヘロイン漬けだったのだ。この時期多くの重要なジャズミュージシャンがヘロインに冒されていたのが、ビーバップからハードバップへ移行を支えていたのはジャンキーだった彼らである。マイルスはそのうちの重要人物の一人であり、非常に優秀なポストビーバップ的なトランペッターだったといえよう。しかし、例えばビーバップ時代にそれとは一線を画する『クールの誕生』(1949)を発表したことからも明らかなように、マイルスは40年代から既にサウンドを重視する音楽家であったわけだが、さすがにヘロイン中毒期にはサウンドクリエイターとして素晴らしいものを生み出 していたとは必ずしも言い難い。この時期は、バンドサウンドという意味で言えば、室内楽的と呼ばれたモダンジャズカルテット(MJQ)に一日の長があったといえよう。マイルスがバンドリーダーとして自らのサウンドを成立させるのは、ヘロインから立ち直ったあと、具体的にはプレスティッジの4部作に代表される、ジョン・コルトレーン(sax)、レッド・ガーランド(p)、フィーリー・ジョー・ジョーンズ(dr)によるグループ成立以降である。LP最初期の録音の一つである「ディグ」によってハードバップ的な可能性を開示しておきながら、その後マイルスは数年間、出遅れることになるのである。 と過去を振り返りつつ、ここからが本題である。復帰移行の80年代以降のマイルスをどう捉えるか、である。それを明らかにするのが本稿の目的である。 (1) 80年代マイルスにみられる二つのバンドサウンド 復帰第一作目の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』には二つのバンドによる演奏が収録されている。一つは復帰にあたってリハーサルを重ねてきた甥のビンス・ウィルバーン(dr)らによるバンドによる演奏、もう一つはアル・フォスター(dr)、マーカス・ミラー(b)、ビル・エバンス(sax)らによるバンドによる演奏。私はこの二つのバンドを対立的においてみることにより、80年代のマイルス・バンドのサウンドの推移をクリアに示すことができると思う。 二つのバンドの特徴は、以下のようにまとめられると思う。 ●アル・フォスターとのバンド: 70年代のマイルスの音楽と地続きの部分をもつが、混沌の度合が弱まり(例えばマイルス自身ワウワウペダルを使用しない)、よりプレイヤのインタープレイやアドリブが見えやすいもの ●ビンス・ウィルバーンとのバンド: 80年代的なポップスの様式を導入し、ジャズ以外の要素を強く感じさせるもの 前者のサウンドの方向性を「バンドサウンドI」、そして後者のサウンドの方向性を「バンドサウンドII」と呼んでみよう。この二つの方向性の違いは、誤解を恐れず端的に言ってしまえば、その後のマイルスバンドの80年代以降における「ジャズ的なもの」と「ポップス的なもの」との二元論的対立関係をそのまま示しているものとして捉えられるであろう(注1)。 マイルスはこの復帰アルバムについて、次のように語っている。 「ビンス達とレコーディングしてみると、新しいバンドでコンサートをやる時につかえるのは、ビンスとビルとロバートだけだとわかって、がっかりした。その上レコーディングした曲を聴いてみると、一枚のレコードを構成するには、何か別のこと、違った種類の音楽が必要だということもわかった。それで、スタジオであんなに多くの時間を費やしたのに、レコードに入れたのは、<ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン>と<シャウト>のたった2曲だけになってしまった。」(同上、226ページ) その後しばらくの間の音楽的展開をみても、当時のマイルスが「バンドサウンドI」の方にプライオリティをおいていたのはまず間違いない。この復帰アルバムに続いてリリースされた2枚のアルバム、すなわち2枚組ライブアルバム『ウィー・ウォント・マイルス』(1981)及び『スター・ピープル』(1982)が、アル・フォスターやマーカス・ミラーとのバンドによって録音されているからである。このバンドは、コンサートもでき、レコーディングもできるジャズ度の高いバンドである。復帰にあたってリハーサルを重ねてきたバンドとは違う種類の音楽が、すなわち「バンドサウンドII」ではなく「バンドサウンドI」 が選択されたのである。 しかし、「バンドサウンドII」が完全にその可能性を失ったということではない。むしろ、マイルスのその後の80年代の歩みを、「バンドサウンドII」による「バンドサウンドI」の凌駕・駆逐のプロセスとして捉えることは妥当だと思うのである。例えば、復帰後第5作目の『ユーアー・アンダー・アレスト』(1984)で採り上げられることになるマイケルジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」やシンディー・ローパーの「タイム・アフター・タイム」といったトップチャートソングは、まさに、ビンスとのバン(バンドサウンドII)ドでのアプローチ、すなわち「80年代的なポップスの様式を導入し、ポップスを強く感じさせる」もの、「バンドサウンドII」に他ならないのである。70年代からマイルスがジャズよりソウルやファンクなどを好んで聴いていたというのは有名だが、マイルスバンドにおいて、ほとんどポップスそのままのサウンドが演奏されるようになるのは、80年代に入ってからであり、そしてそれは、復帰後のアルやマーカスとのバンドによるスリリングな演奏(「バンドサウンドI」)とは違った、復帰第一作において既に試みられていたもう一つの可能性のライン(「バンドサウンドII」)から始まるものなのだ(注2)。 正式なリリースを伴うことはなかったが、プリンスとのコラボレーションも行われていたし、またマイルスの最後のアルバム『ドゥ・バップ』(1991)におけるヒップホップへのアプローチも、このラインの延長線上にあるといってよいと思う。 (2) 「テオの音」による抑圧と、『デコイ』によるその解放 ところで、『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』、『ウィー・ウォント・マイルス』及び『スター・ピープル』と、復帰後の三作品はいずれもプロデューサーをテオ・マセロがつとめている。テオは、いうまでもなく、60年代及び70年代のマイルスのレコーディングサウンドを支えてきたプロデューサーである。復帰後の三作品は、サウンドエンジニアリング的な観点からみても、基本的には70年代のマイルスのものと大きく違わない。ダークで、深いリバーブをもち、そしてドラムのハイハットの音がでかいこと。これはマイルスの作品に限らず、テオによるプロデュース作品一般にみられるユニークな傾向なのかも知れない。しかし、このテオの音は、80年代的なものであるとは言い難いのだ(注3)。 『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』において、ビンスとのバンドで録音され採用された曲は、一つは歌もののコテコテのブラコン(「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」)、いま一つはポップなフュージョン(「シャウト」)なのだが、この手の楽曲は、よりクリアで明るい音で録音されるのが一般的、つまり80年代的なのである(注4)。しかし、同アルバムにおいてこの2曲は、「バンドサウンドI」の楽曲群と同じ「テオの音」で録音されているのである。アルバムのトータリティからいえば、音質の統一は仕方のないともいえるが、私たちはここに、70年代的なものを引きずる「テオの音」による80年代的なものの可能性の抑圧をみることができるかもしれない。復帰時における「バンドサウンドII」の萌芽とその抑圧、これはマイルスの復帰以降のサウンドに関するスターティングポイントなのである。そして抑圧されたものは、必ず回帰する。 テオの手を離れ、マイルス自身がプロデュースした第四作目の『デコイ』(1983)は、マーカス・ミラーがバンドから去ってはいるものの、ジャズ度は相変わらず高いアルバムである。しかし、その音は、テオのプロデュースのものとは異なり、非常にクリアなものとなっている。サウンド・エンジニアリングという側面を加味すると、この時点でやっとマイルスは80年代に入ったのだ、ということができるのかもしれない。テオ的なアンビエント主義の呪縛からの解放という意味において、『デコイ』はマイルスバンドにとって一つの決定的な契機であると考えることもできよう。『デコイ』を三つの前作と比較しつつ聴けば、このアルバムがジャズ度の高さをある程度保持するものの、同時にインタープ レイの余地を狭めていることも認めることができると思う。その原因の一つとして、キーボードサウンドの全面的導入を挙げられよう。キーボード奏者はもちろん、ロバート・アービングIII世、ビンスとのバンドのメンバーであり、彼はこのアルバムで共同プロデューサーとしてもクレジットされている。総体として、『デコイ』は一概にポップ度が高いとは決していえないアルバムだが、すでに「バンドサウンドII」的要素を多く備えているのである。蛇足となるが、ロバート・アービングIII世は本アルバムで、ドラムマシンのプログラミング(いうまでもなくポップスの手法である)をも担当している(注5)。 (3) 『デコイ』以降の80年代マイルス さて、ビンスとのバンドによって開示されていた可能性(「バンドサウンドII」)の発展は、ドラム奏者の起用を追うことによっても、非常にクリアに捉えることができるであろう。『デコイ』に続く『ユーアー・アンダー・アレスト』のレコーディングにはビンスが再び呼ばれているし、ライブバンドにおいてもビンスがアルに変わってドラムをつとめるようになる。繰り返すが、80年代が深まるにつれ、復帰第一作におけるビンスとのバンドのライン(「バンドサウンドII」)は、アルやマーカスとのバンドのライン(「バンドサウンドI」)を凌駕していくのだ。 それはマイルスのバンドにおけるとポップス的様式の採用度の高まりと同義である。さらには、この傾向はビンスのバンド&レコーディング参加によって止まるものでもないのである。なぜならば、そのビンスまでクビになるってしまうからである。ビンス・ウィルバーンの変わりにドラマーとして入るのは、ワシントンD.C.を発祥の地とするダンスミュージック、ゴーゴーのトップバンド、チャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズのドラマーだったリッキー・ウェルマンである。ゴーゴーというのは、ミドルテンポの特徴あるビートをノンストップで演奏しながら、その上でメドレー的に曲を繋げていくようなタイプのダンスミュージック、そしてリッキーはグルーブするビートを延々とキープすることができるドラマーである。このドラマーの採用によって、リズム的な面でのポップス化はさらに進んだということができるであろう。さらにいえば、遺作となった『ドゥ・バップ』(1991)では、もはやドラマーは採用されず、リズムパート(正確に言えばバックトラック全体)が完全にサンプリング&プログラミングによって作られるようになるのである。 マイルスバンドのライブにおけるジャズ的なインタープレイのあり方を考えてみることによっても、「バンドサウンドII」の拡大プロセスを確認することができるであろう。「バンドサウンドI」によるライブでは、アル・フォスターもマーカス・ミラーもミノ・シネル(perc)も、リズムを担当するプレイヤはソロプレイヤに絡んでいくようなスタイルの演奏を行っていたし、アドリブ的にリズムパターンやベースラインを変更することも可能であった。ライブアルバムである『ウィー・ウォント・マイルス』は、特にそうしたジャズ的なインプロビゼイションとインタープレイの魅力に満ちあふれたアルバムとなっている。 しかし、ビンス・ウィルバーンを経てリッキー・ウェルマンに至り、リズムセクションが臨機応変に仕掛けたり反応したりするようなインタープレイはみられなくなるといってよいであろう。その一方でマイルスは、ソリスト同士のフレーズの追いかけっこ、幾分戯れにも似たソロ奏者間の掛け合いを好んで行うようになる。ソリストはマイルスと合い寄り添うように向かい合い、マイルスが提示する短いラインをなぞることを要請される。それは、いわば形骸化・形式化したインタープレイであり、分かりやすくはあるが、高度なインタープレイのスリルからはかなり遠いものである(注6)。キープ中心のリズムセクションの上での様式化したソロ奏者間の掛け合いの導入によって、ジャズ的なインタープレイ、「バンドサウンドI」魅力の中心であったインタープレイの醍醐味を、マイルスは囲い込み、排するかのようである。 絶対にソリストには反応しないバックトラック、ヒップホップの短いループパターンを導入した『ドゥ・バップ』を待つまでもなく、上述のようなライブの様式を導入・確立していった時点において、ジャズ的なものからポップス的なものへの移行の大部分は完了していたと考えて良いのかも知れない。再び繰り返すが、「バンドサウンドI」的なものが「バンドサウンドII」的なものに駆逐・凌駕されていく過程、それがマイルスの80年代以降なのである。 (4) 『ドゥ・バップ』と90年代 ところで、遺作となった『ドゥ・バップ』は既に90年代に入ってからの作品である。私はこの『ドゥ・バップ』を、90年代的な音楽のあり方の嚆矢の一つとして位置づけてみたら面白いと思う(注7)。つまりこのアルバムを原点として90年代以降の音楽を考えるということである。もちろんマイルスは既にいない。答えは残された側が出さなくてはならない。 例えば『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』にみられるものとは逆の抑圧の関係を『ドゥ・バップ』にみてみたいと思う。すなわち今度は「バンドサウンドII」による「バンドサウンドI」の抑圧、ポップス的なものによるジャズ的なものの凌駕・駆逐である。マイルスが90年代の初頭に歩いていた、あるいは切り開いていたのは、そうした地政学上のポイントであったのだ、つぶやいてみたい。 私たちは、90年代に、例えば「アシッド・ジャズ」というものが流行したことを知っている。中にはかなりジャズ度の高いものもあった(その多くは、ソウルジャズ的なものである)が、ポピュラリティを形成したのは、ジャズ度の低いもの、すなわちポップス的な歌もの(代表的なバンドとして、インコグニートを挙げることができるであろう)である。アシッドジャズの流行は、しかし実は、ジャズ的なもの、マイルスのバンドでいえば、「バンドサウンドI」的なものの抑圧に他ならないのである。ある意味において、マイルスバンドにおいてはポップス的であったものを、逆にジャズ的なものとして、人は誤認(ある意味、生産的誤認)したのだ。そしてその傾向は世界的に一般化し、ジャズは身近なものになったと共に、モダンジャズの世界においてコモンセンスだった類の「ジャズなるもの」のイメージとは異なるものをも含みこむようになった。また、「バンドサウンドI」的なものの価値の相対的低下によって、これまでモダンジャズ的な歴史観においてはマージナルな位置付けに止まってきた、様々なかたちのジャズないしはジャズ的なものに光が当たることにもなった。90年代はそういう時代だった、ということができるだろう。 そして今、ゼロ年代である。抑圧されたものは再び回帰するとすれば。ジャズなるものにコミットする私たちはマイルスの亡霊と共にいまだに歩んでいるのだ。 (※この文章は2003年4月に書かれたものである) (注1)実はマイルスには、このバンドサウンドの二元論的対立関係の傍らで、例えば過去においては『ポギー&ベス』(1958)や『スケッチ・オブ・スペイン』(1959)といったような、非バンド的サウンド、いわば、「企画もの」の系列があることを忘れてはならない。80年代にはそうした作品として『アウラ』(1985、デンマーク人パレ・ミェルボルグとのコラボレーション)、『シエスタ』(1987、映画サントラ)や『ディンゴ』(1990、ミシェル・ルグランとのコラボレーション)があるのだが、本論ではバンド的サウンドという観点に絞って話を進めることになる。 (注2)ただ一つの例外として、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』(1974)の「レッド・チャイナ・ブルース」を挙げることができるかも知れない。これはブルースハープをフィーチャーした、かなりストレートなロックブルース、あるいはブルースロック的演奏である。 (注3)面白いことに、70年代的なサウンドが支持された90年代において、このユニークなテオの音は高い評価を受けてることとなった。また、昨今の70年代マイルスの評価はテオの評価を当然含みこんでのものであるともいえる。 (注4)コンセプト的に70年代のマイルスバンドの音楽の延長線上にある菊地雅文や日野皓正の80年代前半のいくつかの作品は、しかし音質的には非常にクリアなものであり、70年代マイルス的ではないのである。テオによる70年代マイルスの音はかなり特殊であり、ある意味一般的ではないのである。しかしだからこそ、テオの個性&力量がうかがい知れるともいえよう。 (注5)本論では『デコイ』を過渡期的作品として位置づけているが、同時にこのアルバムは、ポップな手法をジャズ的なものに融合することに成功したという意味において完成度の高い作品であると捉えることも可能である。キーボードの導入はたしかにスペースを奪うが、かといって奏でられるハーモニーがポップス的なものではないこともまた確かである。 (注6)例えばトニー・ウィリアムスがドラマーとして在籍していた頃の60年代のマイルスバンドは、高度なインタープレイの典型として聴くことができる。ところで、バンドサウンドとしてのインタープレイの矮小化は客観的事実として80年代後半のマイルスバンドに存在する。しかし、本論では触れていないが、マイルスという存在自体の奏でる音の強さは、バックのサウンドが単純化することによって逆に赤裸々な状態で耳に焼き付くことになる、という点は補足的に述べておきたい。 (注7)『ドゥー・バップ』は、ヒップホッパーとのコラボレーションであり、「企画もの」として位置づけられもする作品である(注1参照)。本論では、80年代における「バンドサウンドI」と「バンドサウンドII」との対立関係のさしあたりの決着地点として、そしてまた同時に90年代的なものの始まりの地点として、つまり過渡期的な多面性を持つものとしてと捉えてみたい。
セッションの帰り道、ピアニストのB氏とプリンスの話をしていて思い出した。そういえば以下のような文章をかいたことがあったのである。ちょいと引っ張りだして再びさらしてみる。 これからジャズを横断するつもりなのだが、いきなり非-ジャズで申し訳ない。Princeである。私はPrinceのいい聴き手であったことはかつて一度もなく、信奉するマイルスが彼と何かをしようとしていたと聞いても、あのぎざぎざねっとりな歌声になかなか触手がのびずにいた。しかし、ちょいとしたきっかけがあって、CD3枚、60曲余りで構成されるベスト盤らしきものを買った。 そこには、現在ドミナントなポップ美意識(といっても人によって意味するところは違うわけですが)とはちょいと違った世界が展開されている。音色やリズムに対するアプローチに隔世感を感じずにはいられない。The Rootsのドラマー?estLove(クエストラブ)がTVのインタビューで、現在のディケードは、だれもが決して想像しなかったようなことが起こるアイロニーのディケードであり、その理由の一つとして、かつてあれだけ賞賛されていたMicheal JacksonとPrinceがいま、価値的に地に落ちている、みたいなことを言っていた(彼自身は両者とも好きだが、というエクスキューズ付きで)。確かに、例えば今、Micheal Jacksonが流行らせたムーン・ウォークなるダンスステップをステージ上でやったり、Princeの'Kiss'をカバーしたりする輩がいるとするならば、それはたぶん、当時の流行を知っている人から笑いをとる目的でもなければ場違いなものとなってしまうのかもしれない。その昔'YMCA'をヒットさせ、すでに全員Aidsで死んでしまったという噂(真贋は関知せず)のVillage Peopleというディスコバンドがあったが、上述の二人は、現在は「芸能人」としてはそれと似たような格付けだ、と言い切ってしまったら苦情が出るな(特にPrinceは)。 ポピュラー音楽はその名前の通り、ポピュリズムを原理としている。どっかの国の首相と同様、はやりすたり、人気取り商売なのだ(そういえば細川某という元首相がいたが、彼はいったい今何をしてるんだろうか・・)。そして徹底的に持ち上げられて徹底的に貶められる、これが常の世界。ヘテロで「正常」な男性的魅力の人気者Clinton元大統領はなぜかスキャンダルに押しつぶされなかったが、Micheal JacksonとPrinceには、かなり倒錯的なイメージもあるわけで、より笑いの対象に貶められやすいのかも云々。しかし、そういったことはどうでもよいことだ。音楽を聴こう。 以下、ざっと聴きで、Princeの音楽について感じたこと、箇条書き。 ・基本的には「ファンク」という世界によくあるような、ブラックミュージックへのロックの逆輸入によって成り立っている音楽であること(この場合特に、80年代ニューウェーブ的な美意識が濃厚なそれ、といったらいいのかなあ・・)。従って、Princeは米国黒人音楽の歴史的観点からは、「ファンク」の鬼子として記憶されるべきアーティストなんだと思われる。 ・80年代的なデジタル音楽制作がふんだんに取り入れられていて、その範囲での様々な実験がなされていること。アレンジ的な実験、例えばベースパート(ベースライン)を省いてしまうみたいなことは、ヒップホップを通った耳には当たり前だが、たぶん当時は新鮮だったのではないか、と思う。 ・ボーカルを除くと、サウンドには思いの外に猥雑さが感じられないこと。「汚し」的な音響効果やグルーブにおけるファジーさやレイドバック的なものがそこにはないのだ。逆に過剰にタイトさを目指した楽曲が見うけられる(それはそれで非常に面白い)。利用されるハーモニーはテンション(あるいはジャズっぽさ)を感じさせないものが多い。 ・様々な音楽的意匠を取り入れたPrinceワールドを形成している。ベスト盤を聴くとビートルズ的なんでもあり感(質感はビートルズとは全然違うけれど)が漂ってくる。 ・私的にはファルセットボイスは気持ちよかった。 PrinceとMilesとのセッションがどういうものだったのかは知らない。バキンバキンにタイトでファンキーなリズムの上でPrinceのファルセットボイスとmilesのミュートトランペットがからむ、みたいなものは聴いてみたいような気がする。ホントにからむようにやってくれたら、なかなかなもんなんじゃないか、と思う。でそれが、Milesの最後のアルバム「DooBop」で聴けるようなレイドバックおよび男性的なラップとの絡みとは正反対なやつだったりするとうれしい。
土曜日、日曜日のライブに来てくれた人、ありがとう! で、今度は明日、弁天でブルースのライブで出演します。 5月30日(火曜日) ハードワーキングブルースバンド@新中野弁天 http://www.benten55.com/top.htm 井上 大地 G.Vo 鈴木 保 Harp.Vo 小林 中 Key 椎名 達人 Bass 山下 欽也 Drs chargeは1500で、 オープンが八時 ライブスタートが九時 ちょい遅めでいい感じ。 よろしければ是非!
≪前ページ | HOME |
次ページ≫
|